2007/03/22

『それでもボクはやっていない』

☆家族がいつ巻き込まれてもおかしくない冤罪の恐さと、一般市民としての無力さを感じた

ちょうど、岩波新書『裁判官はなぜ誤るのか(秋山賢三著)』を読み終わったところだったので、その知識がそのまま映画となって印象を深めたような形になった。

普通、自分が民事訴訟に巻き込まれることがあると想像することはあっても、刑事事件の被告になると想像することはない。しかし、痴漢だけは違う。夫や息子が突然、被疑者にされてしまってもおかしくない状況があるのだ。

主人公はフリーターで、現在は恋人もいない。この事件によって失ったものは比較的少ない環境だ。そのように、周囲の雑音を排して描き出すことによって、自分の身に降りかかってきていることの信じられない展開に対して、ただ「やっていない」という真実を言い続けるしかない主人公にだけ、観客の目が行くようになる。そして、そのシンプルさゆえに、冤罪を受けた者の無力さ、孤立感、そして人間の尊厳がいわれなく奪われることへの怒りをストレートに感じた。

143分という、長めの作品だったが、社会的背景や裁判の構造、それに、裁判官、検事、国選弁護人それぞれの意識、そして近く導入される裁判員制度のことなどを考えながら見ていると、ずっと頭がフル回転になって、あっという間に終わってしまった。

2007年/周防正行「Shall we ダンス?」/加瀬亮「硫黄島からの手紙」/役所広司「THE有頂天ホテル」「SAYURI」「笑の大学」「Shall we ダンス」/瀬戸朝香/山本耕史/もたいまさこ「ALL WAYS 三丁目の夕日

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2007/01/03

『黄泉がえり』『天国の本屋~恋火~』

亡くなった同窓生を偲んで邦画を2つ借りた。
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『黄泉がえり』

死なれてしまった側の人間にとっては、こんなことがあればなあと思える映画かもしれない。ある時、なぜかわからない自然現象で突然、故人が、亡くなった時の年齢、姿で戻ってきてくれる。蘇ってほしいという思いが深い人にだけ蘇ってくるのだから、残された側は思い残したことを伝えることができる。

しかし、「去る者、日々に疎し」というのは真実だ。いくら懐かしい思いがあり、いてほしいと思っても、大抵の場合は、その状況を維持できなくなる……というところまでは書いていないが、なんとなくそのあたりが見えてきてしまう。上手に最後を締めくくってはいるのだが…。

(監督:塩田明彦/草薙剛/竹内結子)

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『天国の本屋~恋火~』

発想はおもしろい。人間には100年の命があって、死んでしまった人間は残りの年月を天国で過ごし、合計100年の年月を過ごすとまた地上に生まれる。

その天国の本屋へアルバイトとして連れてこられた青年ピアニストの話だったが、ピアノの曲も、演奏(もちろんプロの吹き替えだろうが)の腕も表現力も今ひとつだったのが残念だ。ストーリーに無理があったとしても、ピアノの音に『戦場のピアニスト』ほどの輝きがあれば、そんなもの取り込まれてしまっていたのにと思う。

(監督:篠原哲雄/竹内結子/玉山鉄二)
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その後、上記二作と同時に借りた『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』を観た。奇しくもこちらが、数学を専攻したその友人の記憶につながった。

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2006/12/03

『ALWAYS 三丁目の夕日』

★懐かしさはどこから来るものなのか。

私は東京タワーが輝かしいものだった時代を知っている。また、映画の随所に出てくる小道具には懐かしさを覚える。でも、ここに広がる世界は私が知っている世界と少し違うような気もする。それなのに懐かしい。なぜ懐かしさを感じるのだろう。

茶の間の続きにある駄菓子屋。「本職」の片手間に店番をする店主。町工場は、家の中と工場が続き、家庭と職場と外の通りとが緩くつながっている。家の構造と社会の構造が、家族と知人と他人の距離を近くし、心の距離も近くなる仕組みを作り出している。私の家は、お店でも町工場でもなかった。ところが、子どもの時代を振り返ってみると、世界の狭さと人間の近さは、このジオラマのような「三丁目」の世界に近かったような気がする。

観客はそんな人の距離に郷愁を感じるのかもしれない。もしかすると、この時代を過ごした人が感じる懐かしさと、全く知らない世代が感じる懐かしさは、「あの時代」にあるのではなく、それぞれの「子どもとして過ごした時」の中にあるのかもしれない。

2005年/監督:山崎貴/吉岡秀隆「博士の愛した数式」「阿弥陀堂だより」「北の国から」/堤真一/小雪「ラストサムライ」/堀北真希/もたいまさこ/三浦友和/薬師丸博子」

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2006/08/18

『県庁の星』

☆まぬけと紙一重の知性派ヒーローを織田裕二が魅力的に演じる

在庫管理がめちゃめちゃで、従業員はみんなやる気がない。規模だけが大きいスーパー、満天堂。毎日ここで買い物することになったら嫌だけれど、このタラーっとした「人間味」、人間関係としてはすごくいい。郷愁すら感じる。

頭の切れは抜群で「ヒーロー」なんだけれど、心を入れ替えた後ばかりでなく、入れ替える前の嫌な奴の時もやっぱり控えめな態度。絵に描いたような悪役でもなく、典型的なヒーローでもない。この微妙な味わいが良い。

「県庁さん」と呼ばれるエリート。嫌われているようで、嫌われていない、どこか間抜けなネーミング。

アムステルダム行きの古い飛行機の機内で、雑音の入る音声&前にある小さな画面での鑑賞となってしまったが、楽しめた。

ここからネタバレ→結局、彼の努力はあまり報いられない形になるが、それでも彼はへこたれない。いくら踏みつけられても、彼はこのままで終わりそうにないという雰囲気を残し、コーヒーが無料になるという小さな成果が控えめに花開く。スーパーマンのように華々しくないけれど、地道な頭脳派ヒーロー。かっこいい。ゴミ箱の書類、誰か拾ってくれるかな。

2006年/原作:桂 望実/監督:西谷 弘/織田裕二/柴咲コウ「バトル・ロワイヤル」

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2006/07/20

『阿弥陀堂だより』

☆この映画の「時の流れ」と自分を一致させることができた時、生と死が共存する世界を体験したような気がしてくる

忙しい生活の中で、居間のテレビでこの映画を観ると、ゆったりとした間の取り方についていけず、早回ししたくなるような焦燥感を覚える。しかし、映画の画面のほうが、自分のいる部屋より存在感が大きくなってくるにしたがって、自分の体までゆったりとしてくるのを感じる。だんだん回転がゆるくなっていくような感覚だ。

映画の時間の流れに違和感がなくなると、阿弥陀堂や、祭りや、灯籠流しや、静かに死を待つ恩師の姿、北林谷栄の演ずるおうめさんの姿に引き込まれ、ご先祖様がそのあたりを浮遊しているような、生と死との境があいまいな形で存在しているような村の世界観に取り込まれていくような気がしてくる。

こういう場所で暮らせたらなあと夢のようなことも考えてみるが、この時間の流れと無縁な生活を送っている自分の感覚の底にこのゆったりとした流れを理解できる元となるものがあることを知ると、日本人で良かったなあと思う。

2002年/監督:小泉尭史/寺尾聰「博士の愛した数式」「乱」/樋口可南子/北林谷栄「となりのトトロ」「事件」
阿弥陀堂だより@映画生活

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2006/07/10

『博士の愛した数式』

☆優しい気持ちを乗せたことばの繰り返しは心地よい

こんなに素敵な映画だったとは。ここ数年、流行している「記憶モノ」制覇のために見たのだが、そんな理由は吹き飛んでしまうほど、心温まる、美しい、良い映画だった。

80分しか記憶が続かない数学の博士。10歳の息子と2人暮らしの家政婦は、博士の家に行く度に「新しい家政婦です」から始まる挨拶をする。博士は靴のサイズを聞く。そして24センチは4の階乗で潔い数字だと誉める。

同じことの繰り返しであっても、優しい気持ちの繰り返しは実に心地よい。同じことがきっかけで違う形で表れても、それは博士の純粋で優しく、知的で感受性豊かな気持ちのバリエーション。

数式の奥深さと心の奥にある優しさとがぴったり合って、細やかな深淵を覗くことができる。配役が5人ともぴったり。音楽もすばらしい。

原作のほうも読んで、数式の世界にもう少し触れてみたいと思った。
[追記] その後、原作を読んだ。映画と違っているところもあったが、映画はもとの味を損なわずに描いていると思った。

2005年/監督:小泉堯史/寺尾聰「阿弥陀堂だより」/深津絵里/斎藤隆成/吉岡秀隆/浅岡ルリ子
博士の愛した数式@映画生活

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2006/01/19

『ラヂオの時間』


登場人物ひとりひとりがみな強い個性の持ち主。勝手なことばかり言う。無茶な状況を作るのにそれぞれが一役を買ってしまっているのに、誰にもその自覚がない。

その個性にプラスして、それぞれが持ち、なぜかそこだけは一流であるプロの技が光り、笑える。わがままな大女優、千本のっこ(戸田恵子)が、ギャーと見事に叫んだあと、顔は普通のままマイクから離れ、さっと素に戻る時のおかしさ。めちゃくちゃな状況なのに、冷静沈着な声で話し出すナレーター。わがままなのに飄々としていて、無責任なのに声だけかっこいい浜村(細川俊之)。そして、そこに突然出てきた、プロでない「ジョージ」の間抜けさと真剣さには吹き出してしまった。迫力のある花火の技と、それを作り出すあの脱力する動作。そういうちぐはぐさ、非対称がすべてにおいて可笑しかった。

三谷幸喜にはまりそう。上映中の『THE有頂天ホテル』、観に行きたくなってきた。

1997年/監督:三谷幸喜「笑の大学」「みんなのいえ」/唐沢寿明/鈴木京香/西村雅彦/戸田恵子/井上順/モロ師岡/藤村俊二/田口浩正/小野武彦/佐藤B作/梶原善/近藤芳正/布施明/細川俊之/奥貴薫/宮本信子「マルサの女」/桃井かおり「SAYURI」「幸福の黄色いハンカチ」/渡辺謙「SAYURI」「ラスト・サムライ」/市川染五郎

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2006/01/14

『笑の大学』


話の大部分が、がらんとした広い取調室で進む。高い天井、モノトーンの光。舞台で演じられているような雰囲気があり、無駄を排してあるので、そこで荒唐無稽なことが行われても、日常とは切り離されたものとして入り込むことができる。その一方で、取調室の外廊下は非日常から日常へ渡る長い道のようでもあり、そこで起こるできごともまた印象深く残る。廊下にいつもいる警官(高橋昌也)はひと言もことばを発しないが、一般大衆や観客の気持ちを代弁しているような存在感がある。

取調官(役所広司)は、ときには声を荒げ、諭し、ときにはぎこちなく世間話をする。しかし、本当はどうしようと思っているのか。本心はどこにあるのか。彼の心も揺れているのか。それは笑いの要素に隠されて、今ひとつわからないまま話が進む。

ひとつひとつの言動に反応して大笑いするような笑いではない。共感を誘いつつ出てくる笑いが重なって、ひとりひとりの心に秘めた気持ちや、その時代の哀しみがじわりと伝わってきて、それがまた温かい大きな笑いとなり、心の中に残っていく。

私はこれまであまり邦画を見てこなかったが、この映画を見て、太宰治の『御伽草子』の笑いもこの時代のこの状況下で作られものであったことを思い出し、「笑い」を作る三谷幸喜のことをもっと知りたくなった。

原作・脚本:三谷幸喜「みんなのいえ」/役所広司「Shall we ダンス?」「SAYURI」/稲垣吾郎

笑の大学@映画生活

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