2007/07/07

『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』"Enron:The Smartest Guys in the Room"

☆実態のつかみにく巨大悪を描き出すドキュメンタリー。

アメリカの大企業が、形のない利益を上げ、株式価格を上げ続け、進んだ会社と思わせつつ、倒産していった過程を追う。タイタニックに例える話し方はわかりやすいし、上手に大金を手にして先に下りていった人がいたことがわかる。カリフォルニアの電気の話は、あまりの展開に、そして、ハマリすぎのモラルのない言葉に、「これ、一時代前に描かれた近未来のSF映画?」とまで思ってしまう。しかし、黒い影がどこでどうつながり、政治家や大手の銀行にまでつながっていったのかはやはりわからない。

時価会計という、将来の利益を見込んだ会計が映画の中ではやり玉に挙がっているが、それは一般的には行われている方法のはず。説明不足だ。悪いのは方法ではなく、それを悪用した会計士。そして、規範を教えて、内部から警告を出すはずだった弁護士。それぞれがそれぞれの担える部分だけでも誠実に実行していれば…などと考えるのは、まだまだ考え方が甘いからだろうか……。

2005年/監督:アレックス・ギブニー/ケン・レイ/ジェフ・スキリング/アンディ・ファストウ

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『イン・ディス・ワールド』"In This World"

☆ロードムービーは他にもあるが、その中でも別格に困難で壮大な旅。

舞台となった土地のうち、ごく一部の安全な場所は訪れたことのある。しかし、それでさえ快適な冷房付きのバスで行ってもハードな旅だった。こんな旅は想像もつかない。そんなにまでして行っても、トルコやロンドンで垣間見たことのある外国人労働者のことを思い出すと、なんでわざわざ家族と別れて…と思う。しかし、振り返り、もう一度難民キャンプのことを考えると、「それでも…」と考える親がいることも納得できる。

国境から国境へといくつものブローカーの手を経て、密入国させる仕事があること。第三者が料金の半分を預かり、無事目的地に着くと残りの半分がブローカーの手に渡るというシステムが興味深かった。

誰を信じて良いのかわからない状況の中で、人を見極め、時には賄賂を渡して切り抜けていく2人のたくましさを見ると、自分の弱さを思う。そして、どこでも祈りを欠かさない彼らを見ると、純粋な信仰を持つ人々が孤立していくことへの憤りも感じる。

特典映像の監督や脚本家の話は、本編の映画と同じくらい興味深い。これを見ると、映画はフィクションだが、その背景にあるノンフィクションの部分がくっきりと浮き出てきて、理解が深まる。

先日見た映画『グアンタナモ、僕達が見た真実』と思いが重なった。

監督:マイケル・ウィンターボトム/ジャマール・ウディン・トラビ/エナヤトゥーラ・ジュマディン

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2007/02/21

『バス174』"ONIBUS 174"

☆「シティ・オブ・ゴッド」の世界で実際に起きた事件のドキュメンタリー。

ドキュメンタリーの凄さを感じた。テレビで流されたバスジャックの生放送映像が時系列で映されていく。その合間に独自取材したインタビューが入る。インタビューは、人質となった人々、警察官、犯人サンドロの叔母、ストリートチルドレン、社会学者、ソーシャルワーカー、監獄の中の囚人やギャングにまで及ぶ。

この事件はブラジルのテレビ各社がリアルタイムで放映され、高視聴率となった。「BUS174」でこの事件の流れをたどると、監督による再構成によって、リアルタイムで目撃した以上の理解が深まる。事件の背景、「見えない子ども達」となってしまっているストリートチルドレンの実態、警察の腐敗、囚人の扱いがさらに新たな暴力を生み出していることなどの社会構造が見えてくる。

事実だけを映しているようでも、再構成されたストーリーは思想を雄弁に物語る。それがドキュメンタリーなのだと感じた。凄い内容だった。高く評価できる。

******
ここから先は蛇足だ。私は、テーマから外れて語られなかった部分が気になってしかたがなかった。殺された女性については、あまり描かれていない。しかし、彼女がバスの外から見てわかるほどに全身をわななかせていた姿が、目に焼き付いて離れなくなってしまった。まだ少し余裕のある局面であり、殺される寸前の映像ではなかったにも関わらず、内部からわき出てくる恐怖に全身を大きく震わせていた。

警察と選挙を控えた政治家は、人質1人くらい殺されてもしかたがない。その時なら犯人を撃てると踏んでいたのではないか。他の人質達の行動に若干の余裕があったのも、真っ先に殺されるのは自分ではなく、彼女だということを無意識にしろ感じていたのではないか。なぜなら彼女は犯人の信用を失うようなことをしてしまったから。彼女もまわりの人間もわかっていた。インタビューに答えた警官も「殺されるとしたら彼女だと思った」と言っている。

そして、彼女は「見えない子ども達」と同じ構造で、「見てもらえなく」なってしまったのだ。

2002年/監督:ジョゼ・パジーリャ

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2007/01/31

『グアンタナモ、僕達が見た真実』"The Road to Guantanamo"

★初めて見たドキュメンタリー・タッチの映画

イギリスに住んでいた時、パキスタン出身の人とも接していたので、こういう普通の若者のことが想像できる。だから、彼らがパキスタン系イギリス人として平均的な生活をしていただろうことも想像できる。そして、ごく普通のイギリス人がするように好奇心と冒険心でアフガニスタンに足を伸ばしてみたくなったことも。

しかし、パキスタン、アフガニスタンと続く、その光景の中に彼らは溶け込んでしまうのだ、違和感なく。しかし、イギリス英語を話すところも、観光にはしゃぐところも、そして、劣悪な環境で体調を崩すところも、ひ弱さも含めて、全く、イギリスに育った人間そのものだ。

ところが、戦渦に巻き込まれ、危機を切り抜け、北部同盟に捕まり劣悪な捕虜収容所にと続くうちに、彼らの逞しさが感じられるようになってくる。3人の絆が彼らを強くしているのだ。こんな劣悪な衛生状態と環境。コンテナへの銃撃に至ってはありえないことと思ったが、どうにか生き延びる。

その後、彼らの思いとは裏腹に、リベラルなはずの米軍の手に移ってからは、肉体的な締め付けの上に精神的な締め付けも加わり、それ以上の極限状態へと追い込まれていく。しかし、3人はさらに精神的にも強くなる。「アッラーを信じるか?」という問いに、「そうありたいと思っている」と答えるアシフはすごいと思った。イギリスで生活している時はあまり宗教的な価値観を持たずに生活してきた若者であっただろうにと思う。

ストーリーは役者によって演じられているが、3人へのインタビューと、随所に挟まれる、ブッシュ大統領の演説や、報道機関が取った同じ場面の映像などが「こちら側」と「あちら側」との乖離を効果的に表現している。

グアンタナモでアメリカがやっていることは、成果が出ていないことから考えても的を外しているのだろう。アルグレイブ収容所の例もあるように、アメリカではなく、わざわざキューバのグアンタナモに作った施設の中でとんでもないことも横行しているのは真実だと思われる。

一方、昨年夏にイギリスの警察はイギリスに住むパキスタン人の若者を逮捕し、液体爆弾によるテロを未然に阻止している。疑心暗鬼を生むテロ行為が元凶であることは確かだ。しかし、この3人の若者はこの体験を経て、どういう方向に進みたいと思うようになるのだろうか。

3人がどのような経緯で救い出されたのかは描かれていない。…が、救い出す「力」があったことだけがこの映画の救いだ。

グアンタナモ、僕達が見た真実@映画生活

監督:マイケル・ウィンターボトム&マット・ホワイトクロス/(アシフ)アルファーン・ウスマーン/(ローヘル)ファルハド・ハールーン/(シャフィク)リズワーン・アフマド/ワカール・スィッディーキー」

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2006/08/21

『ザ・コーポレーション』"The Corporation"

☆法"人"という欠陥"人間"に社会は振り回されているのか

メッセージは明快だ。「企業をのさばらせてはいけない。すぐに行動せよ」と。しかし、この映画には、心からそれを納得させ、行動する動機を与える力が足りない。

環境汚染、資源を使い尽くす社会構造、ホルモン剤投与による牛乳の危険性。震え上がるほどの恐い。恐怖を与えるところまでは成功している。それなのに、映画が「敵」としているものとその恐怖との関連性とがあまり明確に示されていない。

しかし、発想転換のきっかけとしては、かなりおもしろいものが示唆されていた。

組織に「法人(=コーポレーション)」という人格が与えられ、財産を持つことができるようになり、人間と同様、利益追求ができるようになった。ところがこの仕組みは、ヒトとして欠陥のある人格を生み出すことになった。そして、巨大で破壊された人格を持つコーポレーションという法「人」は、人間と地球を破壊しながら増殖する。

パラダイム変換して、地球と人間を生かす新しい仕組みを考えなくてはいけない。「それが何か?」に答えは与えられていないが、確かにこの道には一筋の光があると思えた。

2004年/監督:マーク・アクバー、ジェニファー・アボット/マイケル・ムーア「華氏911」「ボーリング・フォー・コロンバイン」「ロジャー&ミー」/ノーム・チョムスキー

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2006/08/03

『ロジャー&ミー』"Roger & Me"

☆マイケル・ムーアのスタート地点が見られる作品

マイケル・ムーアの作品の中で、私は『ボーリング・フォー・コロンバイン』が特に好きだ。哀しさが伝わってきて、静かに内省する時間を与えてくれる。その元の形がこの『ロジャー&ミー』の中にも見られる。

工場閉鎖。大企業GMに依存していた町がぼろぼろになっていく。それなのに、組合を最初に作ったような土地柄もあって、人々には企業がどうにかしてくれるのではという体質が残っている。明るく笑顔で工場最後の製品となる車を送り出す人々の表情を見ると痛々しい気持ちさえしてくる。経営者はそれどころではない。貧富の差は広まる。

このドキュメンタリーの中に出てきた新しい起業の試みが哀しい。フリントを観光都市として再生しようとした市の幹部職員、お祭り騒ぎのあとに残る廃墟。ベンチャー企業を作ったり、新しい仕事で失敗していく試みは必死で哀しいのに、なぜか滑稽に映る。このあたりが後の作品で、もっと説得力のある形でクローズアップされていく部分だと思う。

のちの作品と違って、攻めのインタビューをしていないところも興味深い。しゃべっていないと不安になるアメリカ人の心理を逆手に取って、「間」を作る。不安になったところで、ついしゃべり出してしまう人をカメラは捉える。のちの作品を撮る頃には、もう相手が彼を「こいつは危険人物だ」と考え、身構えるようになってしまっているから、この手法がとれなくなったのだろう。

この映画のオーディオ・コメンタリーは必見だ。ドキュメンタリーの中で、ムーア自身がナレーターとして語っているのに、そこにさらに彼自身の解説が付く。不思議な二重構造がさらに状況を深く語ってくれる。

1999年/監督:マイケル・ムーア「ザ・コーポレーション」「華氏911」「ボウリング・フォー・コロンバイン

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2006/04/11

『タッチ・ザ・サウンド』"Touch the Sound"


音を聴くことは、音に触れること。それが、エヴリンを通して伝わってくる。物と物がぶつかって、そこから音が聞こえてくるという表面的なものではなく、その下にある空間、その物体との触れ方、接触、質感、そして叩く人間の骨格、身体、内臓、さらにはそれらのまわりにある空気すべてから、その音の深みが醸し出され、振動という形で、伝わって来るものであることが、感じられるような気がしてくる。

エヴリンは聴覚障害者だ。取材の電話には、いったんそれを受けて口形をなぞる人、という仲介を経て答える。しかし、「聴覚障害者なのに」という表現は当てはまらない。たぐいまれな音楽の才能を持った音楽家が、たまたま成長の過程で聴覚を失ったことにより、聴者が気づかない音の深さ、メカニズムを感じることができるようになり、ドラマーとして新しい境地を開拓したという言い方のほうが正確だ。

エヴリンが生み出し、イヴリンが「聴く」音と、私が聴く音とが同じだろうかと、ふと思う。そして、そこにのせた気持ちを感じることが、同じ音を聴くという意味ではないかということに思い至る。

ニューヨーク、スコットランド、イギリスのケンブリッジ近郊、日本と、私にとって意味のある土地を巡っていく旅だったこともあり、格別の思い入れをもって見入ってしまった100分だった。

このところ、岩波ホール「二人日和」、銀座テアトルシネマ「ホテル・ルワンダ」と、メジャー系でない映画館の良さにはまり始めている。この作品も渋谷ユーロスペースという"通"な感じの映画館で鑑賞。

監督:トーマス・リーデルシェイマー/エブリン・グレニー/フレッド・フリス
タッチ・ザ・サウンド@映画生活

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2005/11/06

『華氏911』"Fahrenheit 9/11"


ボウリング・フォー・コロンバイン』に感銘を受けてしまったので、『華氏911』も見ることにした。しかし、『ボウリング…』のように感銘を受けることはなかった。

『ボウリング…』は社会批判であると同時に、1人1人の心の持ちようを問うという面があり、私はそこに感銘を受けた。しかし、この作品からは、そういうメッセージを受け取ることができなかった。

ブッシュは能力がなくて、どうも、国が一大事であってもどうしたら良いのか自分で判断できないお飾りらしい。オイルマネーとの癒着も描いてある。戦争の必要性を説くのはどういう階層で、行かされるのはどういう階層かもしっかり読み取れる。しかし、それは以前から指摘されてきていること。映画という形式を取るのなら、もうひと味、別のものがないと意味がない。政治的に利用されたのかな。「洗脳」の道具として利用されてしまったのかな。そんな感じがした。

だいぶ前に衝動買いして本棚に立てたままになっている"Stuped White Men"を読んでみてから、自分なりの判断を下してみたい。

2004年/監督:マイケル・ムーア(「ザ・コーポレーション」「ボウリング・フォー・コロンバイン」)
ロジャー&ミー

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2005/10/26

ムーア批判をどう考えるか/『ボウリング・フォー・コロンバイン』


昨日書いた記事で、この映画に感銘を受けたことを書いた。あまりにも感銘を受けてしまったので、マイケル・ムーア批判がどういうものなのか、もう少し調べて、自分が"洗脳"されたのかどうか確かめたいと考えた。

主に参考にしたのはこのページ。↓
http://www.mooreexposed.com/bfc.html

このサイト、かなり詳細に映画を分析している。ざっと読んでみて、自分が"洗脳されて"、間違った判断に導かれていたと、はっきりわかる部分が1か所あった。

私はこの映画を見て、「NRAは、銃による悲惨な事件があると、わざわざそこへ出かけていって、銃所持を正当化するキャンペーンを張っているのだろう」と思った。そして、それが批判をかわす戦術なのだろうと思った。

しかし、チャールトン・へストンの元の演説と、映画に出てくる演説のことばを比べてみると、真ん中が削除され、別の文の主部と述部が編集されて、ひとつ文のようになっているところがあることがわかると指摘されていた。

 *「市長へこう言った」のあと、「私は18歳の時に志願して軍に入り、ナイジェリアからベトナムまで従軍した」に続くメインの部分が削除され、演説のさらに先に出てくる、「この国はアメリカ人として自由に行き来できる国だ。来るな? 私はもう来てしまっている。」の部分がそのまま編集して付けられている。

また、これほど大規模な大会だから、事件が起こったからといって急に企画するのは無理があり、前々から決まっていたもので、変更できなかったのだとする主張も頷けるものだった。

また、6歳の子供の事件のあったフリント近くでの演説はNRAの大会ではなく、大統領選のキャンペーンの一環としてチャールトン・へストンが出ておこなったものであり、しかも3日間で3州にわたる地域の9か所をめぐってした演説のうちの1つであることを知ると、映画の最後のほうに出てくるインタビューで、8ヶ月前にその事件がその地で起きたことを、彼が「知らなかった」と答えているのも、無理はないことであり、嘘をついているのではなさそうだと感じた。

たぶん、チャールトン・へストンの部分はかなりねじまげられてしまったのだろう。それ以外の批判については、「そんなこと、最初からわかって見ている」という部分と、「難しすぎてわからないし、両者にはそれぞれの見解があるのだろう」と思える部分とに分けられた。

私は昨日、この映画の感想を書いた時、まだこの批判サイトを読んでいなかった。しかし、感想の中にはチャールトン・へストンについての部分は書かなかった。彼を不当にバッシングする気になれなかったし、この部分についてわざわざ書くほど、映画自体の主張と明確につながっているように思えなかったからだ。彼が登場する部分はあまりに情緒的に扱われすぎている。

その部分をなしにしても、前に書いたようなメッセージは充分に伝わってくる。他の作品も見てから、この監督のことを判断したいが、この作品については、「ねつ造」と叫ぶより、自分が受け取ったメッセージのほうを大切にしたいというのが私の出した結論だ。

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2005/10/25

『ボウリング・フォー・コロンバイン』"Bowling for Columbine"



極端な考え方に洗脳されたくなかった。事件の時、たまたまアメリカに住んでいて、TVで目の当たりにしてしまったあの悲劇をこれでもかと見せつけられるのは嫌だと思った。同じ日に行われた、クリントン大統領のコソボ攻撃もあの事件で薄らいでしまった。苦々しく、救いようのない気分にされたあの日がよみがえる。

それでも、もしかすると良い作品なのかもしれないとふと思い立ち、見ることにした。全然極端ではなかった。「銃による悲劇は、米国人の中に巣くう恐怖の念がもたらすもの」という考え方はストレートに心に響くものだった。また、そのことばが、コロンバイン高校の悲劇の原因となった歌だとされたマリリン・マンソンの口から出てきたことばに基づいているのが印象的だった。思い描いていたイメージとは違って、静かで考え深い語り口のロック歌手だった。

あの悲劇が起きた高校の天井のカメラに撮られた、犯人となった2人の青年の動き回る姿が映し出された。あんな映像があったのだ。悲しくなった。『サウス・パーク』の作者、マット・ストーンがインタビューの中で言っていた「学校ではめられる型以外の生き方が、外の世界にはたくさんあるのだ、ということを知らされずに袋小路に追い込まれていく若者」のことをくっきりと思い描くことができた。

日本の銃による殺人は極端に少ない。それは私たちが銃を持っていないということだけの話だ。ここに描かれている「恐怖」の原理に動かされてしまう心を、私は自分の中にも感じることができる。あそこに出てきた、鍵を掛けずに生活し、「なんでそんなこと聞くの?」という顔をするカナダ人と私は違う。

古き良き時代を思わせる、ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」"What a Wonderful World"が、バックグラウンドに使われている。しかし、映るのは、あの悲惨な映像。そして、同じ曲が最後に違った調子で歌われる。逆説的に使われているのに、メッセージがしっかり伝わってくる。効果的な使われ方であり、また、曲自体もすばらしい。

マイケル・ムーアの作品がもっと見たくなった。(その後「華氏911」も見ました。)

*その後、「ムーア批判をどう考えるか」という記事を書き足しました。

2002年/監督:マイケル・ムーア(「ザ・コーポレーション」「華氏911」「ロジャー&ミー」)/チャールトン・へストン(「ベン・ハー」「猿の惑星」「ソイレント・グリーン」)/マリリン・マンソン/マット・ストーン/ジョージ・W・ブッシュ

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