2006/06/14

『判決前夜 ビフォア・アンド・アフター』"Befor and After"

☆ごく普通の良き家庭の、未成年の息子、あるいは兄が殺人を犯してしまった時、家族はどのように行動するか

冒頭、原題の"Before and After"ということばがジェーコブの妹によって語られる。「ある瞬間にすべてが変わってしまうことがある。ビフォー(前)とアフター(後)では、全く違う。それが自分たち家族に起こった。」

このことばで、そのできごとが取り返しの付かないものであったことが示唆される。人が取り返しのつかない間違いを犯してしまった時、どうすればその人を本当に救うことができるのかを問うた作品。

最初のほうで、旧約聖書に出てくるアブラハムの話を父親(リーアム・ニーソン)が口にする。神に、我が子イサクを生け贄に捧げるように言われ、アブラハムはそのことばに従った。しかし、自分にはそれはできないと語る。さらっと流れるが、この映画を解く鍵はここを掘り下げたところにある。

ごく普通の家庭に起きた普通でないできごとが描かれている。また、そのキーとなる考え方はキリスト教に基づいている。しかし、その時、家族がそれぞれの立場でどう考え、どう振る舞うかは身近な問題として捉えることのできるテーマとして共感を持ってみることができた。

弁護士が一癖ある、なかなかおもしろそうな人物のようだが、映画では今ひとつつかめきれない。たぶん、本にはもっと詳しく書かれているのだろう。この弁護士をどう解釈するかによって、人が人を裁くことの意味が少し変わってくるように思う。

1995年/監督:ハーベット・シュローダー/メリル・ストリープ「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」「めぐりあう時間たち」「ミュージック・オブ・ハート」「母の眠り」「マディソン郡の橋」/リーアム・ニーソン「ギャング・オブ・ニューヨーク」/エドワード・ファーロング「ターミネーター2」
判決前夜/ビフォア・アンド・アフター@映画生活

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2006/05/17

『ガンジー』"Gandhi"


ガンジーの「無抵抗(非暴力)主義」ということばは知っていた。また、あの大虐殺の話と大行進のシーンは何かで見たことがあった。しかし、「非暴力」のあとにくる「非服従」の本当のすごさはわかっていなかった。単なる熱意を示すキャンペーンの大行進ではなく、生活に根ざし、経済格差を生み出す世界の構造を示唆する行動であったことは、この映画を観て初めてはっきりと見えた。

英国の支配構造と経済の仕組み、パキスタン独立、マスコミの力、各宗教が心をひとつにしようとする様子、彼のまわりにいた多様な人々、史実に基づいた盛りだくさんな内容なのに、ひとつひとつの重さがしっかり感じられるように描かれている。

風景と人々の様子がラヴィ・シャンカールのシタールとタブラの音と一緒になってインドの奥深さと壮大さとパワーを感じさせる。3時間の大作があっという間に感じられた。

1983年/監督:リチャード・アッテンボロー「遠い夜明け」「エリザベス(出演)」「34丁目の奇跡(出演)」「ジェラシック・パーク(出演)」/ベン・キングズレー「デーヴ」「A.I.」「砂と霧の家」/キャンディス・バーゲン

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2006/04/26

『家の鍵』"Le Chiavi di Casa"


難産の末、妻は亡くなり、生まれて来た息子は障害を負っていた。父親ジャンニは子供を捨てて、逃げ出した。

15年後、新たに家庭を持ち、生まれたばかりの赤ん坊と生活を始めていたジャンニは、息子パオロと再会することになる。パオロの医者が実の父親に託すことを薦めたためだ。パオロの養父はジャンニに不安を感じながらも、専門医に診せるためのイタリアからドイツへの旅をジャンニに託す。

障害を持つ息子の介助をどうすれば良いのかわからず、おどおどと無駄に手を出してしまうジャンニ。「左から着せられると手が痛いんだよ。何回言ったらわかるの?」とパオロは言う。親がしつけをする子供に言うセリフに似ている。知的障害も併せ持つパオロなのに、短いことばで話す内容は、時には親子関係が逆転しているかのように鋭い。

ドイツの病院で出会った、障害を持つ少女に付き添う母親ニコールのことばもまた静かで、的確だ。障害を持つ子供のことで、まわりに気遣う親の態度が問題なのだと指摘する。子供ではなく親が問題なのだとも。

奇跡が起こるわけでもないし、変に明るい未来や感動させる結末を作ろうともしていない。ただ、淡々と、ゆるやかに、ジャンニの戸惑いや小さな喜びや、心の変化を描く。原作も読んでみた。映画に出てくるストーリーは全く書かれていない。さまざまな人との小さなできごとを通して、障害者の親の思いが描かれている。両方が補い合って、理解が深まる。

2004年/監督:ジャンニ・アメリオ/キム・ロッシ・スチュアート/シャーロット・ランプリング「スイミング・プール」/アンドレア・ロッシ

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2006/04/20

『ショーシャンクの空』"The Shawshank Redemption"


こんなに感動し、気分が高揚する映画には、出会ったことがない。何度見ても、仕掛けを知っていても、毎回新たな感動を味わうことができる。あのエンディングは年齢を積み重ねるごとに味わい深く感じられるようになっていく。なぜそんなに心を動かされるのだろう。

その鍵は、この物語の語り手に、穏やかで人の気持ちを理解する調達屋レッド(モーガン・フリーマン)を設定したことにあるだろう。主人公アンディ(ティム・ロビンス)の魅力はその寡黙さにある。したがって、そのまま彼を映しているだけでは彼の心は見えない。しかしレッドを通して語られることによって、アンディの中にあるよくわからない部分を伏線として残したまま、彼の人柄の魅力が浮き出てくる。観客は安心してレッドの語りに気持ちを同化しながら見ることができる。語られずに残され、張られたままになっている複数の伏線は、最後の場面になだれ込むようにして明らかになっていき、心が解放されるような高揚感へと形を変える。

テーマは「希望を持つこと」だ。希望はこれまでにもさまざまな映画で語られてきている。それは多くの場合、勇気や心の持ち方で語られる。しかし、この映画は「知性と教養」によって希望を保ち続けることが描かれている点が特異だ。知性と知識を磨くことによって、まわりの事柄が明確になり、正しく考えることが可能になる。彼は知力のスーパーマンなのだ。しかし、肉体派のスーパーマンと違って、観客が「磨いた分だけスーパーマン(希望)に近づくことができる」と思える点が違う。

自分の生きている空間に閉塞感を持つことは誰にでもあることだろう。そういう時に、この映画を観るととりあえずの応急処置はできるだろう。何度も観て、深く感じれば、完治するかもしれない。

1995年/監督:フランク・ダラボン「コラテラル」「マジェスティック」「グリーンマイル」「プライベート・ライアン」/原作:スティーヴン・キング「シークレット・ウィンドウ」「アトランティスのこころ」「グリーンマイル」「スティーヴン・キングのシャイニング」「イット」「やつらはとこどき帰ってくる」「スタンド・バイ・ミー」「シャイニング」「キャリー」/ティム・ロビンス「ジェイコブス・ラダー」「隣人は静かに笑う」「デッドマン・ウォーキング(監督)」/モーガン・フリーマン「ブルース・オールマイティ」「ディープ・インパクト」「ドライビングMissデイジー」/ウィリアム・佐渡ラー「グリーンマイル」

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2006/03/12

『死ぬまでにしたい10のこと』"My Life Without Me"


「初めてキスをした相手と17歳で結婚し、夫と可愛い2人の子供の4人で母親の家の庭に置いたトレーラーで暮らすアン。そのアンが、突然、余命2か月の宣告を受ける。

今までに、してこなかったこと、したかったことがある。そして、自分がいなくなってからのことも計画しておかないと…。そして、後者のほうに重きがあるからこそ、良い感動が残る。だから邦題より、原題の"My Life Without Me"(私のいない私の人生)のほうが、わかりにくくはあるが深みのある題名だ。

自分がこの世から消え去ってしまったあとの世界を想像し、創造する。そして、余命のことは誰にも告げず、ノートに書き留めたことをこなしていく。2か月後にいなくなってしまう自分は、もう他の人とは見えている景色も違うのだ。

主要な登場人物とは言えないが、トンプソン医師が好きだった。

監督:イザベル・ヘコット/サラ・ポーリー/マーク・ラファロ/レオノール・ワトリング/デボラ・ハリー/アマンダ・プラマー
*「 」内は見たことのある作品

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2006/03/08

『ビハインド・ザ・サン』”Behind the Sun(英語題)""Abril Despedacado(ポルトガル語題)"


「坊や」と呼ばれるだけで、家族から名前もつけてもらっていない男の子がこの映画の語り手だ。最初の場面から、語りの深い思考に引き込まれていく。

さとうきびを砂糖にするのがこの家族の生業。「おじいちゃんの時代には奴隷がやった。今は僕らがやる」という過酷な労働。1910年のブラジル。坊やの一家は近隣の一家と憎しみ合い、何代も前から果たし合いを続けてきている。ただし、その殺し合いは「流した以上の血は流さない」「シャツの血の色が黄ばむのを待って」という掟に則っているので、すべてはじわじわと進む。

語り部の才能があったであろう「坊や」の短く、端的な状況を表すことばを聞き、静かな画面を見ていると、人間の生き方、変えられない観念のむなしさ、喜びは本当は手の届くところにあるはずなのにといったことがどっと迫ってくる。

良質の短編小説を読んだ時のような、静かな思いが心に残る。

2001年監督:ウォルター・サレス/トーニョ:ロドリゴ・サントラ「ラブ・アクチュアリー」(2004年ピープル誌に「世界で最も美しい50人」に選ばれる)/父:ホセ・デュモンチ/坊や:ラモス・ラセルダ/クララ:フラヴィア=マルコ・アントニオ/サルスチアーノ:ルイス=カルロス・ヴァスコンセロス
*「 」内はその人の作品のうち見たことのあるものの題名
ビハインド・ザ・サン@映画生活

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2006/02/28

『エクスペリメント』"Experiment Bootcamp(英語題)""3sat-Zuschauerpreis(原題ドイツ語)"


パッケージが『エス』に似ている。いや、それをさらに恐くしたような絵だったので、その連想と先入観から、不必要にハラハラしてしまった。

しかし、サイコスリラーや異常心理、極限状況モノに慣らされ、スレてしまった自分の感覚のほうがおかしいと思い直し、落ち着いて見られるようになってくると、こういう描き方もいいなあと思えてくる。

エス』と『エクスペリメント』には大きな違いがあるが、繰り返しこのテーマで描きたくなるドイツ人の思いには共通するものがあるのかもしれない。

囚人達の異常心理などという期待で見るとがっかりする。そのかわり、囚人側の様子だけでなく、実験する側の人間も含めて、それぞれの気持ちを考えながら見ているとおもしろい。喧嘩した時の2人への罰もなかなかいい。

ところで、この映画の紹介文だが、いわゆる商業サイトを見ていて驚いた。

まず、livedoorの「ぽすれん」は「極限状態に陥った人間の狂気を描いた究極のサイコホラー…」と最初からハズしている。本当に映画を見て書いたのだろうか。TSUTAYAの「DISCAS」も全く同じ文章を掲載している。

紀伊國屋書店の「Forest Plus」は「過酷な訓練で人間の攻撃性を奪う犯罪撲滅計画の歪みが引き起こす恐怖を描いたショッキング・スリラー。」と上の2つのサイトの文章を短くしたような文になっていて、「歪みが」以降、思いっきりハズしている。この文章は「楽天ICHIBA」、「DVD生活」と全く同じ文章だ。同じ文章を使おうということになっているのだろうか。

eでじ」は「極限状態の中、やがて彼らの中で何かが壊れ始めた…。」で結んであるが、「壊れた」?「違うでしょう」と思う。「net横町DVDeliver」も「DVDirect」も全く同じ文章だ。本当に最後まで見たの?という内容なのに…。これらのサイトは協定でも結んでいて、同じ文章を載せているのだろうか。

[3/2追記]その後、試しに『セルラー』の紹介文を比較してみたところ、「eデジ」「DVDeliver」「DVDirect」のグループと「Forest Plus」「楽天ICHIBA」「DVD生活」のグループは同じ文章を掲載していました。「ぽすれん」と「DISCAS」は同じではありませんでしたが…。そういうものなのかと思いました。もしかして、こういうことは常識だったのかな。

ちなみに、個人のブログには、かなりの数で「…と思って借りたのに違っていた」という記述が見られる。異常心理の悲惨さを煽るような紹介文に変な先入観を持たされて見ると、この映画の良さが全然見えなくなってしまう。罪深いことだ。

2004年/監督:アンドレアス・リンケ/マティアス・ケーベルリン/ナタリア・ヴェルナー/アーロン・ヒンデブラント

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2006/02/10

『セント・オブ・ウーマン ~夢の香り~』"Scent of a Woman"


ストーリーそのものより、いくつかの見せ場を楽しむ映画。

全盲の退役軍人フランク(アル・パチーノ)と日本語にするなら「玉を転がすような」という表現がぴったりの上品な笑い声の女性ドナ(ガブリエル・アンウォー)と踊るタンゴ。「本当は踊りたいのだけれど、失敗するのが恐いから…」という女性を、ていねいにエスコートし、徐々に大胆に美しく踊らせていく。この場面、男としてのフランクの魅力が輝いて見える。

そして、クライマックスも。大きな見せ場がある。

フランクの女性観は今ひとつ好きになれないが、使っている香りを言い当てられてうれしくなる女性の気持ちはわかる。

エリート校モノ、『モナリザ・スマイル』『卒業の朝』の後、これを見た。エリート校で、親のお金で学ぶ上流のお坊ちゃま達の中で、苦労して奨学金をもらい、アルバイトしながら学ぶチャーリー(クリス・オドネル)の持つ、品の良い笑顔が実に良かった。

1992年:監督:マーティン・ブレスト/アル・パチーノ「シモーヌ」「ゴッドファーザー」/ジェームズ・レブホーン「ミート・ザ・ペアレンツ」「リプリー」「インディペンデンス・デイ」クリス・オドネル「クッキー・フォーチュン」/フィリップ・シーモア「リプリー」「マグノリア」「パッチ・アダムス」「ビッグ・リボウスキ」「ツイスター」
*「 」内は見たことのある作品名

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2006/01/03

『ライフ・イズ・ビューティフル』"La Vita e Bella"


この映画が公開された時からずっと、後味の悪い映画になるのではないかと思い、見るのを避けてきていた。その理由は悲惨な場面をこれでもかと見せられるのではないかという思いと、騒ぎすぎのロベルト・ベニーニに辟易するのではないかという危惧があったから。

しかし違っていた。強制収容所のあの状況の中で、子供を守り抜こうとした姿。命だけでなく、子供に憎しみの心を植え付けず、子供らしい心を守り抜こうとした姿。「それはいくらなんでも無理なのでは?」という場面もあったが、それでもメッセージははっきりと伝わってくる。

「犬とユダヤ人はお断り」という看板の意味を問う息子ジョズエに、「いろいろな店がある」あの店は○○人とペンギンがだめで、あそこは○○人と猫がだめでと説明していく。「嘘」かもしれない。しかし、憎しみの連鎖が次の戦争を生み出していくことを考えると、子供に「ライフ・イズ・ビューティフル」と教えることが一番大切なことなのではないかと気づかされる。見て良かった。

1998年/ロベルト・ベニーニ「コーヒー&シガレット」/ニコレッタ・ブラスキ/ジョルジオ・カンタリーニ

ライフ・イズ・ビューティフル@映画生活

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2005/11/07

『奇跡の詩』"The Third Miracle"


奇跡を描いた感動作ではなかった。奇跡を調査しなくてはならない神父の、信仰に対する苦悩を描いた作品だった。

エド・ハリスが演じるフランク神父は、奇跡が本物であったかどうか調査する仕事をしている。そして、数々の奇跡が偽物であることを証明していく。それは同時に、その奇跡を信じていた人々の信仰心を宙に浮かせ、打ち砕くものでもあった。

奇跡を疑い、奇跡でないことの証明をきっちり行う彼はまた、自分の信仰に疑いを持ち苦悩していた。しかし、苦悩する彼の姿のなんと真摯なことか。彼と一緒に神学校で学んだ神父ジョンは、「信仰を得たその日のことを覚えているか。その日から喜びに満ちた日が始まったことを」と屈託無く、そして幸福そうに話す。

ヒエラルキーの中にどっぷりと浸かって、教会という「俗」にまみれたとも見えるジョンの姿と、落ちこぼれて酒におぼれ、女性に愛を感じてしまうフランクの姿。

こういう、人間の描き方、私は好きだ。

1999年/監督:フランシス・F・コッポラ(「ロスト・イン・トランスレーション」「地獄の黙示録」「ゴッド・ファーザー」)/エド・ハリス(「白いカラス」「めぐりあう時間たち」「ビューティフル・マインド」「スターリングラード」「グッドナイト・ムーン」「トゥルーマン・ショー」「ザ・ロック」「理由」「アポロ13」)/アン・ヘッチ(「ジョンQ」「Returen to Paradise」「6ディズ/7ナイツ」「サイコ」「ウワサの真相」「ラストサマー」)

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