キャスリンとセバスチャンはマンハッタンの豪邸に暮らし、名門校に通う義姉弟。両親は2人にお金をふんだんに与えたまま、滅多に家には帰ってこない。美貌に恵まれた2人は権力もお金も握り、やりたい放題。
そんなキャスリンがセバスチャンに持ちかけた賭が、「新しい校長の娘でまじめな生徒アネットの処女をセバスチャンが奪ったら自分の体を与え、失敗したらセバスチャンのジャガーをもらう」というもの。
ヒトの気持ちを踏みにじっていく2人のやり方を見ていると、嫌な気持ちになっていくのだが、あの均整の取れた顔には見とれてしまう…などとぼーっと見ているうちに、思っていたのとは違った展開に。
アメリカのティーンズ向けの映画は結構いろいろ見ているのだが、これはそういう軽いジャンルに入れてしまうのが少しためらわれるような何かがあった。たぶんそれは、セバスチャンのそうせざるを得なかった気持ちの部分に何かがあったのだろうと軽い感動に耽っていた。描かれてはいない部分に思いをはせながら…。
ところが、オーディオ・コメンタリーがちょっとまずかった。監督が出てきて、愉快そうににこにこと「本当はこういう場面も挿入しようと思っていたのだけれど、そうするとセバスチャンがあまりにも嫌なやつに見えるのでやめた」というところが次々と紹介されていったのだ。「やっぱりただのそういう奴だったんじゃないか」となってしまった。感動してしまった私の気持ちはどうなるの?
編集の仕方によってずいぶん印象が変わるのだと感心したが、こういうシーンは見たくなかったなあと思う。
[3/14追記]「私はこう理解し感動した」というところを以下に書きます。【ネタバレしているので反転させて読んでください】→セバスチャンがアネットに惹かれていく気持ちがよくわからなかったので、2度目はそこに焦点を当てて見た。
老人ホーム訪問あたりでセバスチャンの心が微妙に変わる。ドライブのシーンではセバスチャンがこれまでの自分のめちゃくちゃな生活とは反対側にあるアネットの世界に「更生」したいと思い始めているように見える。アネットがドライブする最後のシーンは唐突だが、この部分と呼応させたいのではないだろうか。
最初、セバスチャンはキャスリンに魅力を感じていた。言われる通りに何でもしたいというほどに。しかしその魅力は、部分的にはキャスリンに手出しできないこととも関係があったのだろう。キャスリンのほうも実はセバスチャンが好きだったように思う。しかし、複雑に屈折しているキャスリンは、「思い通りにならない女だから」ではなく本当の意味で愛が欲しかった。
セバスチャンがアネットに本当の意味での愛情を持ってしまったことを知ったキャスリンの表情から、このあたりの気持ちが感じ取れる。しかし、キャスリンは失恋するような女ではない。キャスリンはセバスチャンのことを「単なるオモチャだった」と思うことにした。
クルーエル・インテンションズ(残酷な意志)は2人にこの映画のラストのような形で働いたのだ。
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