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2009/05/11

『明日、君がいない』”2:37”

☆閉塞感につぶされそうだったあの時代

中学、高校時代を思い返す時、もう一度あの頃に戻りたいとは思わない。特別不幸な青春時代を過ごしたわけではないが、あんな不安定な時期の学校生活をまた経験したいとはとても思えない。

この映画にはその根本のところがとてもよく描き出されている。順番にインタビューを受けている画面が挿入される6人の生徒達はそれぞれに問題を抱えている。学校という狭い空間の中で、それぞれの苦痛を内に秘めた姿がごく平凡な学校風景の中に映し出されていく。ある時のある人物の視点で映し出された風景が、もう一度、別の人物の視点で映される。すると、前の場面で主人公だった人が別の風景の隅に映り、前の場面と同じ光景が別の角度から見える。互いに少しだけ関わっている、が、全く関わっていないとも言える同じ学校に通う生徒達。

インタビュー、それぞれの視点での風景、それらを通して、冒頭で自殺を図ったらしい人物はいったい誰なのか、謎解きのような気持ちで見ていく。しかし、次第にその答が見えてくる。濃く重い悲しみ、密なようで実際は希薄、むしろ、誰とも関わることができない人間関係の全体像が重層的姿を現してくる。そして、誰が死んでもおかしくない状況が見えてくる。

そうだ、これだ。こういう中で、自分の場所の不安定さから来る不安感、絶望感、閉塞感が、多感な心を無惨に傷つけてくることが実感として伝わってくる。

そして、それが誰だったかがわかった後も、真の共感を持つことのない残りの人物達のインタビューが続く。その言葉は、映画によって敏感になってしまった見る者の心を、容赦なく傷つけてくる。すばらしい表現力を持った作品だ。

2006年/監督:ムラーリ・K・タルリ

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