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2008/06/16

『リクルート』"The Recruit"

☆ずっとだまされて見て来たのに、最後まで来て、「だよね~」と思った。(笑)

父親への思いも、レイラに惹かれる感情も、彼の才能も、そしてCIAの訓練も、その内部もおもしろい。本当はどんな感じなんだろう。

アル・パチーノの濃い演技、それに対して、全然かすむことのないコリン・ファレルの演技に感心した。

2003年/監督:ロジャー・ドナルドソン/アル/パチーノ「シモーヌ」「セント・オブ・ウーマン」「ゴッドファーザー」/コリン・ファレル「フォーン・ブース」「マイノリティ・リポート」

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『恋人たちの予感』"When Harry Met Sally"

☆小技の効いた場面で語られる男女の本音にクスッとなる

マンハッタンを舞台にしたメグ・ライアン主演のラブコメディが1989年「恋人たちの予感」、1998年「ユー・ガット・メール」、2002年「ニューヨークの恋人」と13年の間に3つ作られている。

監督は異なるが、それぞれの時代のニューヨーク最先端の生活感や男女間の話題がよく現れていることが、3つ並べてみるとさらにわかる。

特典映像によると、今でもアメリカでは「私たちはハリー・メット・サリー(原題)タイプの間柄だから」という言い方をするらしい。男女の間に本当の友情は成立するか、恋が芽生えると友情は崩壊するか、そして男女の性に関する本音など、当時は衝撃的だったであろう事柄が、恋人ではない男女という媒体を通してうまく語られる。また、ハリーとサリーがそれぞれ友だち夫婦に恋愛相談の電話をし、それを友だち夫婦は同じベッドの両端にある電話で受け取り、同じ画面で2つの会話が共鳴しあって進むといった小技の効いた場面が随所にあり、洒落た楽しみもある。

「ユー・ガット・メール」の時代、私はちょうどマンハッタンに住んでいたが、その頃出てきた大型書店Barnes & Nobles、Starbucks、AOLといった最先端に敏感な人たちの心をくすぐる小道具を使っての恋が小気味よく語られた。

そして2002年には、キャリア・ウーマンという虚像に徹するにはちょっとという独身女性の本音部分を100年以上前のニューヨークとだぶらせて描き出す。

この「恋人たちの予感」はメグ・ライアンが初々しい若い時代に作られた作品で、本当に可愛らしさが良く出ている。しかし、メグ・ライアンの良さや演技力は2002年の作品のほうがずっと上だ。この作品の良さ、監督の腕に感心すると同時に、その後の作品でのメグ・ライアンの成熟と活躍を感じた。

「落ちぶれた女優の悪あがき」みたいなものは見たくないと「イン・ザ・カット」を避けてきていたのだが、見てみても良いかなという気がしてきた。

1898年:監督ロブ・ライナー/メグ・ライアン「ニューヨークの恋人」「電話で抱きしめて」「シティ・オブ・エンジェル」「ユー・ガット・メール」/ビリー・クリスタル「アナライズ・ミー」

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2008/06/03

『パンズ・ラビリンス』"Pan's Labyrinth"

☆子供に対する贖罪の気持ちが映像となっている。

<ネタバレ気味>

映画を見る時、私は、妖精がいると言われればいると思い、地底に別世界が広がっていると言われればそうなのかと信じて引き込まれる。しかし、この映画はそんなふうには思えなかった。

この映画は、そんな世界はないと思っている大人が、贖罪のために描いた作品だと思う。だから、子供には見えているという、その世界の存在が、観客にとって、信じがたいものであるのも当然だ。あったら救われるのにと思いながらも、そう思うことを許してくれない。

暗い時代に苦しんだ子供達に対して、子供を守れなかったすべての大人が自分自身の罪深さを思い知るために描かれたのだと思う。子供達が救われたなどという世界に安堵感を覚えて、逃げ込むことを拒否している作品だ。

贖罪のためには、どろどろした膿のような罪をすべてはき出さなければいけない。そういう観念がみごとに描かれている。信じたい、信じたいが信じられない。信じるには、奥行きがなさすぎる。チョークで描かれた扉の形がしっかり残っていたのはその象徴だ。あそこに穴が空いていれば、「もしや…」と思える余地が残ったのだろうが、そういう楽なほうへの「逃げ」は拒否される。

2006年監督:ギレルモ・デル・トロ/セルジ・ロペス/イバナ・バケロ

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