『アポカリプト』"Apocalypto"
☆疑問符はたくさん付くのに、すばらしい!と言いたくなる作品
こんなに大量の血を映像化して見せる必要があったのだろうか、人を切り裂く音をあんなにはっきり出す必要があったのだろうか、有名なあのピラミッドでは、本当にあんなお祭り騒ぎの儀式が行われていたのだろうか等々、頭の中は「?」でいっぱいになる。しかし、見終わると、すばらしい!と思ってしまう。
特に、あのマヤ文明が花開いている古代都市。あの映像的描写はすばらしい。不思議な踊り。青ペンキを塗りにくる人達の取り憑かれたような様子。貴族らしい人々。娼婦かなと思える一団。市場の雑踏。貧困と富裕層。そこを引き回され、驚きと恐怖がないまぜになり、唖然とした表情を浮かべる捕虜達は、まさに映画を見ている自分自身だと思えてくる。そして、この不可思議なものは、狂乱して咲き乱れる間違った文明だというメッセージが伝わってくる。
そして、マヤの文化が本当にあんなだったのだろうかと疑問を持った瞬間、ああ、これはメタファーなのだと気づく。マヤ文明がどうであったではなく、現代社会の文明をこういう形で描こうとしたのだ。「恐怖」が心に棲みついてしまった人間。「恐怖」に過剰反応して間違った方向に突っ走り、成熟し、腐るほどに発酵し、「進化」していく文化。その象徴的な描写なのだということに気づく。
森の民は恐怖に支配されない人々。主人公の家族は、滅ぼされてしまった古代の人間というよりは、アメリカ人の持つ、家族の原風景なのだ。
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