『カラーパープル』"The Color Purple"
☆原作を読まなくてはと思った。
父親による性的虐待から始まり、出産、人身売買のような結婚と続き、女性差別、人種差別と重苦しさを見せ続けられる。しかし、スピルバーグは重苦しさに押しつぶされるだけの映画にはしなかった。この監督のそのテクニックが、ときには、あざとく感じられることもあるのだが、この映画は違った。
人種差別されている黒人社会の中にさらに存在する階級差別、それに性差別が加わる。すべての差別の底辺にいるような娘セリー。そのセリーが、虐げられ、無力に屈っしながらも、静かに、しっかりと人を見、社会を見、黙って学び、成長していく。教育も受けられず、人間として見向きもされない場所にいるからこそ、観客席から映画の画面を見るような一歩離れた冷静な立場から観察し、学んでいくことができた女性。ときには、陰でクスッと顔を隠して笑いながら。
顔を隠して笑うのは、セリーが父親から「笑うと醜い顔がますます醜くなる」と言われたことに起因するのだが、そこには、「自己解放」という観点からも、また「目立たない席から社会を見ている」という観点からも、キーとなる意味が見出せる。
底辺にいる女性同士がさらに蹴落とし合いをするのではなく、互いの中に真実を鋭く見出し、共感していく様子が希望を与えてくれる。
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