『それでもボクはやっていない』
☆家族がいつ巻き込まれてもおかしくない冤罪の恐さと、一般市民としての無力さを感じた
ちょうど、岩波新書『裁判官はなぜ誤るのか(秋山賢三著)』を読み終わったところだったので、その知識がそのまま映画となって印象を深めたような形になった。
普通、自分が民事訴訟に巻き込まれることがあると想像することはあっても、刑事事件の被告になると想像することはない。しかし、痴漢だけは違う。夫や息子が突然、被疑者にされてしまってもおかしくない状況があるのだ。
主人公はフリーターで、現在は恋人もいない。この事件によって失ったものは比較的少ない環境だ。そのように、周囲の雑音を排して描き出すことによって、自分の身に降りかかってきていることの信じられない展開に対して、ただ「やっていない」という真実を言い続けるしかない主人公にだけ、観客の目が行くようになる。そして、そのシンプルさゆえに、冤罪を受けた者の無力さ、孤立感、そして人間の尊厳がいわれなく奪われることへの怒りをストレートに感じた。
143分という、長めの作品だったが、社会的背景や裁判の構造、それに、裁判官、検事、国選弁護人それぞれの意識、そして近く導入される裁判員制度のことなどを考えながら見ていると、ずっと頭がフル回転になって、あっという間に終わってしまった。
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