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2006/10/29

『カポーティ』"Capote"

★「感情を排した理解」が不可能であることと、それのもたらす苦悩について考えさせられた。

この記事は、映画を見たことを前提に書いています。特に「衝撃的な結末」があるという映画ではありませんが、先入観なしに映画を見たい方は、お読みにならないほうが良いと思います。

☆  ☆  ☆

「冷血」は読んでいない。しかし、犯人のペリーはこんなふうに、内省的で共感できる人物のようには描かれていないだろうと想像できる。きっと、身の毛もよだつ冷血で、センセーショナルな人物に描かれているはずだ。

カポーティはノンフィクション小説を完成させるため、偽りの友情で、殺人事件の容疑者ペリー・スミスの心に寄り添い、心の闇を引き出すことに成功する。カポーティは無神経のようでありながら、心の襞のわかる人間だ。だからこそ作家として成功している。人を理解することができることは、寄り添うことができるということ。それは一種の才能だ。そして、それは外見的には「優しさ」と同じ形を取る。そこが問題だ。

ペリーの日記を借り出す時、カポーティはこれを小説にする理由として「ペリーがモンスターではないことを世間に知らせたいから」と言った。しかしすでに彼の頭の中では一家4人惨殺事件犯のモンスターを描いたノンフィクション小説が描かれていた。ここで彼は決定的な一線を越えてしまっている。しかし、それさえなかったら良しとできるのだろうか。

人は人を理解するために、自分の心を開く、相手も心を開く。しかし、開いたからといって、必ずしも相手を肯定できるとは限らない。心を開くことのできる人間は、相手を理解できる人間であるため、それを相手は優しさと受け取る。しかし、最後まで優しくあり続けることができないこともある。理解しても、肯定できないことはあるのだから。

ペリーは、内省的に思考できる人間なので、カポーティの理解が肯定ではないことに気づいたはずだ。しかし、一度も他人から理解されたことのなかったペリーにとっては、この理解は何にも代え難いものであった。そして、結局は、苦しい思考の果てに、利用されたことを納得した上で、理解してもらえたことを肯定するに至る。

一方、カポーティも返り血を浴びることになる。そのペリーの「理解」がカポーティを一生苦しめることになるのだから。

カポーティの二面性が特異なものとして描かれているが、理解、優しさ、誤解という構造が深く描かれていて、非常に興味深い映画だった。

2005年/監督:ベネット・ミラー/フィリップ・シーモア・ホフマン「マグノリア」「パッチ・アダムス」「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」/キャサリン・キーナー「ザ・インタープリター」「シモーヌ」/クリフトン・コリンズ・Jr/クリス・クーパー
カポーティ@映画生活

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