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2006/09/21

『Vフォー・ヴェンデッタ』"V For Vendetta"

☆「権力に対抗する鎮まれる意思」はどのようにして生まれるのか。
イギリスに住んでいた時、毎年、不思議な思いで見ていた「ガイ・フォークスデー」の行事。

何日も前から会場を準備し、打ち上げ花火を用意し、火あぶりにするガイフォークス人形を作る。そこら中で花火とキャンプファイヤーのような「火刑遊び」が行われる。花火は、日本の打ち上げ花火を知っているとみすぼらしく感じられるが、一応、ヒューと上がって、ボンと広がる花火ではある。商業的でも、公的なものでもなく、自発的にやるものとしてはかなりすごいのではないかと思う。

火あぶりごっこが子どもの楽しみ? どういう神経しているんだろう。何考えているの?と思ってイギリス人に尋ねると、「イギリス人はおかしいから」と嬉しそうな顔で返事が返ってくる。400年前の国会議事堂爆破未遂の事件と、この火あぶり花火大会に参加する人の気持ちの関連性はどんなものなのだろうといつも思っていた。

この映画は、それに対する1つの解答になったので、私にとっては興味深い映画だった。

人々は権力側の人間として火あぶりに参加しているのではなく、権力に反対し散っていったガイ・フォークスのことを忘れないため、ガイ・フォークスの側に気持ちを寄せつつ、民衆の静かな意思の表れとしてあの行事を行っているのではないかと思った。

燃やされるのはガイ・フォークス人形でなくてはいけない。国会議事堂のハリボテを燃やしたりして、気分をスカッとさせて終わらせてはいけない。意思半ばで倒れたガイ・フォークスを燃やすことで、心の奥に「暗闇」を育てなくてはならないのだ。

ネタバレ、反転させて読んでください。→イヴィー(ナタリー・ポートマン)が髪を剃られ、投獄され、拷問を受ける場面がある。それが仮面の男によってなされたということが理解しにくかった。しかし、あの行為が、その虐げられた民衆の哀しみを自分のものとし、権力に対抗する力を得、生まれ変わるために必要だったとすると理解するならば、その過程と人形を焼く行為に通じるところがあることがわかる。

組織的なテロではなく、1人1人の静かな意思の集まりこそが権力に対抗する力となるものだということを、あの仮面の行進が象徴している。ドミノの映像も同じだ。そしてドミノの最初の1つを押す人はヒーローでもなんでもない。それは、心の中にはさらに暗い闇を潜ませ、その闇に押しつぶされ、ゆがんでパワーアップしてしまった人間。

恐怖に対抗できる鎮まれる意思こそが力になるという主張。実にイギリス的な意思表示だと思った。先日、記事にした「厳戒態勢のヒースロー空港」で見たことを思い出した。

2005年/監督:ジェームズ・マクティーグ/ナタリー・ポートマン「クローサー」「コールド・マウンテン」「レオン」/ヒューゴ・ウィーヴィング「マトリックス」「プリシラ」/スティーブン・レイ「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」
Vフォー・ヴェンデッタ@映画生活

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2006/09/15

映画館にて

いやぁー、こんなこともあるのかなと思って…。

学生時代の友人と映画を見に行きました。ひとつの建物の中で複数の映画をやっているというシネコンタイプの映画館。

私たちは学生気分に戻って、勇んで入っていきました。見に行った映画は結構メジャーなはずのもの。ところが、中にいる人の数はそこそこ。レディースデーにもかかわらず、20代の男性が1人というのが結構目に付く。それも優しそうな雰囲気の単身男性。そうかあ、この映画、そういう人に受けるのか~。

ところが、たくさんの予告のあと、ちょっと長い予告が…。『アキハバラ@DEEP』、おもしろそう。でも、この予告なかなか終わらない…。ん? 予告なんかじゃないと気づいたのは、始まってから5分は過ぎていた頃。

結局、映画館の人は、目的の映画の次の回の、良い席を用意してくれたのですが…。

今にして思えば、私たちおばさん2人組を、違和感を持つかのように、気遣うかのように、まわりの人たちは見ていてくれたような気がします。でもね、なかなか良い雰囲気の観客だったし、映画自体もおもしろそうだったんです。

改めて見に行こうかな。アキバオタクには決してなれないおばさんですが、遠くから、ああいう男女もいいなあって思っているのです。

映画評を読んでみたところ、この映画、前半は最初に見た雰囲気の通りのようですが、後半のバイオレンスがすさまじいみたい。どうしようかな。

Photo
その時食べた、とてもおいしい、アボカド乗せわさびソース味ハンバーグの写真なんぞを載せてみる。

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2006/09/12

『ホーカス・ポーカス』"Hocus Pocus"

☆ひとにお薦めできるような映画ではないのに、ハマってしまった。

子どもが見るには教育上悪いところがあるし、小さな子は怖がりそう。何か啓発される面があるかというと、ないわけではないが…という程度。といって、大人が見るには、ただただB級のミュージカルもどき。

それなのに、10年ほど前、たまたま見た時の印象が強烈で、また借りてしまった。大きな声では言えないが、この映画、完全に私の趣味。

なぜ好きかと考えてみると、悪い魔女3人が、それぞれに個性豊かで、魔力もすごいのに、間が抜けているから。すぐ騙されてしまう。その騙され方がなぜか素直で純真だから、憎めない。

こんなB級映画に好印象を持つのは、その後も大活躍のペット・ミドラーと「セックス・アンド・ザ・シティ」で大ブレークするサラ・ジェシカ・パーカーの魅力によるのかもしれない。

*魔女モノとしては他に「プラクティカル・マジック(1998年)
」「イーストウィックの魔女たち(1987年)」などがあり、どれも「自由に生きようとする女」という主張がどこかに漂っているように思える。

1993年/監督:ケニー・オルテガ/ペット・ミドラー「ステップフォード・ワイフ」「ファースト・ワイフ・クラブ」/サラ・ジェシカ・パーカー「ファースト・ワイフ・クラブ」

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2006/09/06

『34丁目の奇跡』"Miracle on 34th Street"

☆クリスマス映画の王道を行く正統派

おませで賢くて可愛らしくて、サンタの存在なんて全然信じていない女の子。そこに、自分は本物だと信じているサンタが…。ぼけているのか、本物なのか。

ニューヨークのデパート、メイシーズのクリスマス・パレードを思わせる行事なども登場し、アメリカの子ども達はこの物語をますます身近なものとして感じるのだろう。

ネタバレ、反転させて読んでください。ここから→「サンタが存在するのか」という世間が注目する大裁判に、嘘でごまかしたり、奇跡が起きて大逆転というわけでもなく、裁判所がしっかり取り組むところが良い。

そして、この物語を裏返しにして、真っ黒に塗ったのが、昨日紹介した「バッド・サンタ」。「34丁目の奇跡」を見た人に「バッド・サンタ」を薦めようとは思わないが、「バッド・サンタ」を見た人にはその正統派バージョンとして、こちらを見ることをお薦めしたい。

1994年/監督:レス・メイフィールド/リチャード・アッテンボロ「エリザベス」「遠い夜明け」「「ガンジー(監督)」/エリザベス・パーキンス/マーラ・ウィルソン「ミセス・ダウト」「マチルダ」/ディラン・マクダーモット

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2006/09/05

『バッドサンタ』"Bad Santa"

☆これは笑えないと何度も思ってしまった

季節はずれのクリスマスものを見ている。今なら借りやすいので、まとめて見て、比較できる。

ところが、最初に見たバッドサンタは許容範囲を超えたバッドぶりで、何度か希望を見出してはすがろうと試みたが、私にはダメだった。下品さも、差別的な笑いも、それを通しての主張がわかればだいたい許容範囲なのだが、これはダメ。

キレイゴトで語られすぎるクリスマス映画を、逆から描いて主人公の成長ぶり、純粋な子どもの姿に感動させたいという意図だろうが、その意図が成功したとはとても思えない。

消化不良を起こしたような気分で、他の人はどういう感想を持ったのだろうと、他の人が書いたブログを散策してみた。結構、好きな人もいるんだ。「こんなサンタいいのかなぁ」「子どもにはとても見せられない」なんて思いながら楽しむというあたりが正しい鑑賞法かも。

そういう感想の中で、この映画を肯定的に紹介していて、特に深く頷けるものがあったので、紹介したい。

「シネトック/映画批評」の「バッドサンタ」←ここをクリック
うん、うん。世の中の嘘くさいクリスマスの持ち上げぶりの裏にある偽善を曝きたかった。そう考えると納得できる部分がある。ていねいな論評に頷きました。

[追記]ブラックな「バッド・サンタ」に対して、クリスマス映画の正統派「34丁目の奇跡」を紹介しました。パロディを楽しむには、元の形も知っておかないとね。

2003年/監督:テリー・ツワイゴフ/制作総指揮:コーエン兄弟「ビッグ・リボウスキ」「ディボース・ショウ」/ビリー・ボブ・ソーントン「ラブ・アクチュアリー」「ディボース・ショウ」「チョコレート」「アルマゲドン」「スリング・ブレイド」/バーニー・マック「オーシャンズ11」

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2006/09/04

『フォーチュン・クッキー』"Freaky Friday"

☆母親、40代、ドクター。中身はバンドに夢中のかる~い娘。そのアンバランスさがカッコイイ

母親と娘の中身が入れ替わってしまって、お互いの境遇がよくわかってというのはよくある話。もちろん、「映画の中では…」だが。
話の筋そのものより、母親役のジェイミー・リー・カーチスの演技が面白くて、上手で、画面に見入ってしまった。

50歳近い精神科医なのに、中身はバンドに夢中で、かる~いティーンズの娘。やりたい放題、言いたい放題、おまけに無知! ハラハラしたり、目を覆ったりしているのに、いつのまにかそれが格好良く見えてきて、イケてるじゃないになってくるから不思議だ。こんなふうに突き抜けた心理学者でセラピストのオバさんがいたら魅力的かも。

2003年/監督:マーク・ウォーターズ/ジェイミー・リー・カーチス/リンジー・ローハン/マーク・ハーモン

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2006/09/03

『イット』"IT"

☆仲間が田舎町に集結してくるところまでは傑作

前半は『スタンド・バイ・ミー』のような幼年期の恐怖、絆をうまく描いている。もうピエロを恐怖の先入観なしで見られなくなってしまうほどだ。後半も「町」に漂う恐怖を描くところまでは恐い。しかし、最後に向かって突然、B級度が全開してしまう。

スティーブン・キングの作品の映画化は魅力的だが難しいのだろう。この作品と似て、前半が幼年時代、後半が成人してからの2部構成になっている『アトランティスのこころ』では、映画にする時、本の後半部分をバッサリ切ってしまっている。原作とは少しテーマが違ってしまうが、すばらしい完成された映画になっている。しかし、原作部分の後半で描かれた、幼年期の体験を元にそれぞれがどのような道を歩まざるを得なかったかというところについては言及されていない。この『イット』はその後半部分も映画に残した。そして、幼年時代の恐怖がどのようにそれぞれの心の奥深くに残って作用していたかが描かれる。

『イット』では、後半を入れたかった理由がわかるように描かれている。でも、『アトランティスのこころ』にはあった、大人になった自分の中にも広がる恐怖の余韻は残らない。

1990年/監督:トミー・リー・ウォレス/原作:スティーヴン・キング「シークレット・ウィンドウ」「アトランティスのこころ」「グリーンマイル」「シャイニング」「ショーシャンクの空に」「ブロス/やつらはときどき帰ってくる」「スタンド・バイ・ミー」「キャリー」「ミザリー」/ハリー・アンダーソン/デニス・クリストファー/オリビア・ハッセー

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