お墓が見つからなかったお墓詣り
イギリス訪問の第一の目的は、お世話になった方のお墓詣りでした。とても博識なドクターだった方です。
まず、住んでいらした家に行きました。大きな家はひっそりとしていました。誰もいない庭に入るわけにもいかず、しばらく立ちつくしていました。門から見える玄関のドアからはその方がいつものように、「よく来たねえ」といってこちらに歩いて来られるような気がしてなりませんでした。
そこから少し行ったところにその方の教会があります。催し物がある度に呼んでいただき、何度も行ったことのある教会です。近くを通る時は、いつも、「ちょっと失礼」と言って、ささっと1人で奥さんのお墓詣りをしていらっしゃいました。
広くはない墓地です。お墓はすぐに見つかると思っていました。ところが、なかなか見つからないのです。奥さんのお墓は見つかったのに、その横にもありません。結局、教会に戻り、そこに書いてあった牧師さんの番号に電話をしてやっとわかりました。
遺言で自分の家の庭に埋葬されたいと言い残したというのです。私は思わずニッコリしてしまいました。そうかあ、家に居付きたかったんだ。私はあの映画(ネタバレするのでタイトルは書きません)を思い出していました。そして、家の前に立った時の「今も静かに住んでいる」という雰囲気に思い至りました。
心臓の大手術の後に訪ねた時、「自分をロンドンの家に連れていくために、娘が訪ねて来る日が決まっていたのだけれど、こっそり隠れて、それを回避したんだよ」と言っていたずらっぽく笑っていらしたことを思い出しました。
そんなふうにして、かなり様態が悪くなってからも1人最後までそこに住み続けたのです。また、もうだいぶ以前のことになりますが、「あの教会のあの場所はお墓として良くないから、妻のお墓も動かしたいと思っているのだけれど、牧師さんがうんと言わないで困っている」とも言っていました。その理屈は博学過ぎて、言い回しも難しく、私にはさっぱりわかりませんでしたが、要するに、家にずっと居たかったということだったのですね。
牧師さんは、「お墓詣りはしたいだろうが、家はもう他人の手に渡っているし、庭に人が埋葬されているというのはあまり気持ちの良いものではないかもしれないので、訪ねていかないほうが良いと思う」と言われました。内緒のまま売ってしまったのでしょうか。弁護士をしているお嬢さんは、お父さんのわがままな遺言を実現させるため、苦労して埋葬許可を取ったのかもしれないと思いました。
こんなふうにして、イギリス人はときどき家に居付くのだなあと心から納得しました。数億のお金が自由にできたら、あの家が欲しかったとも思いました。「今日は物置でごそごそやって、仕掛け時計でも作っているのかな」なんて思いながら一緒に住めたら楽しかったのにと…。
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