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2006/08/26

『プリシラ』"The Adventures of Priscilla, Queen of The Desert"

☆荒野を舞台にしたドラッグクイーンのショーが妖しく素晴らしい

都会では受け入れられているドラッグクイーンの3人も、オーストラリア内陸部の保守的な地域に入っていくと、排斥され、蔑まれる。3人はそれに涙しながらただ耐える。そういう地域のクラブでの3人のショーは、ゲテモノの3流に見える。

ところが、一転して沙漠での心の赴くままのショーは、斬新さに度肝を抜かれる観客を放っておいて、私たちこそ主役よとばかりに生き生きと輝く。悪趣味と紙一重の衣装は、力強い自然に負けない強さを3人に与える。

衣装と音楽と踊りを含めたパーフォーマンス芸術という意味で最高の映画だと思う。ストーリーはというと、悪くはないかもしれないけれど、アクの強い芸術性の前でかすんでしまったという感じがします。

また、テレンス・スタンプの演じる老婦人は上品で、美しく生きていて素晴らしい。言動にも潔い美しさがある。こんなふうに気高く美しく老いることのできる"女性"はそうそういないだろうと思わせるところがすばらしい。

1994年/監督:ステファン・エリオット/テレンス・スタンプ「ホーンテッド・マンション」/ヒューゴ・ウィーヴィング「マトリックス」「マトリックス・リローデッド」「ベイブ」/ガイ・ピアース「メメント」/ビル・ハンター

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2006/08/21

『ザ・コーポレーション』"The Corporation"

☆法"人"という欠陥"人間"に社会は振り回されているのか

メッセージは明快だ。「企業をのさばらせてはいけない。すぐに行動せよ」と。しかし、この映画には、心からそれを納得させ、行動する動機を与える力が足りない。

環境汚染、資源を使い尽くす社会構造、ホルモン剤投与による牛乳の危険性。震え上がるほどの恐い。恐怖を与えるところまでは成功している。それなのに、映画が「敵」としているものとその恐怖との関連性とがあまり明確に示されていない。

しかし、発想転換のきっかけとしては、かなりおもしろいものが示唆されていた。

組織に「法人(=コーポレーション)」という人格が与えられ、財産を持つことができるようになり、人間と同様、利益追求ができるようになった。ところがこの仕組みは、ヒトとして欠陥のある人格を生み出すことになった。そして、巨大で破壊された人格を持つコーポレーションという法「人」は、人間と地球を破壊しながら増殖する。

パラダイム変換して、地球と人間を生かす新しい仕組みを考えなくてはいけない。「それが何か?」に答えは与えられていないが、確かにこの道には一筋の光があると思えた。

2004年/監督:マーク・アクバー、ジェニファー・アボット/マイケル・ムーア「華氏911」「ボーリング・フォー・コロンバイン」「ロジャー&ミー」/ノーム・チョムスキー

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2006/08/18

『県庁の星』

☆まぬけと紙一重の知性派ヒーローを織田裕二が魅力的に演じる

在庫管理がめちゃめちゃで、従業員はみんなやる気がない。規模だけが大きいスーパー、満天堂。毎日ここで買い物することになったら嫌だけれど、このタラーっとした「人間味」、人間関係としてはすごくいい。郷愁すら感じる。

頭の切れは抜群で「ヒーロー」なんだけれど、心を入れ替えた後ばかりでなく、入れ替える前の嫌な奴の時もやっぱり控えめな態度。絵に描いたような悪役でもなく、典型的なヒーローでもない。この微妙な味わいが良い。

「県庁さん」と呼ばれるエリート。嫌われているようで、嫌われていない、どこか間抜けなネーミング。

アムステルダム行きの古い飛行機の機内で、雑音の入る音声&前にある小さな画面での鑑賞となってしまったが、楽しめた。

ここからネタバレ→結局、彼の努力はあまり報いられない形になるが、それでも彼はへこたれない。いくら踏みつけられても、彼はこのままで終わりそうにないという雰囲気を残し、コーヒーが無料になるという小さな成果が控えめに花開く。スーパーマンのように華々しくないけれど、地道な頭脳派ヒーロー。かっこいい。ゴミ箱の書類、誰か拾ってくれるかな。

2006年/原作:桂 望実/監督:西谷 弘/織田裕二/柴咲コウ「バトル・ロワイヤル」

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2006/08/14

お墓が見つからなかったお墓詣り

イギリス訪問の第一の目的は、お世話になった方のお墓詣りでした。とても博識なドクターだった方です。

まず、住んでいらした家に行きました。大きな家はひっそりとしていました。誰もいない庭に入るわけにもいかず、しばらく立ちつくしていました。門から見える玄関のドアからはその方がいつものように、「よく来たねえ」といってこちらに歩いて来られるような気がしてなりませんでした。

そこから少し行ったところにその方の教会があります。催し物がある度に呼んでいただき、何度も行ったことのある教会です。近くを通る時は、いつも、「ちょっと失礼」と言って、ささっと1人で奥さんのお墓詣りをしていらっしゃいました。

広くはない墓地です。お墓はすぐに見つかると思っていました。ところが、なかなか見つからないのです。奥さんのお墓は見つかったのに、その横にもありません。結局、教会に戻り、そこに書いてあった牧師さんの番号に電話をしてやっとわかりました。

遺言で自分の家の庭に埋葬されたいと言い残したというのです。私は思わずニッコリしてしまいました。そうかあ、家に居付きたかったんだ。私はあの映画(ネタバレするのでタイトルは書きません)を思い出していました。そして、家の前に立った時の「今も静かに住んでいる」という雰囲気に思い至りました。

心臓の大手術の後に訪ねた時、「自分をロンドンの家に連れていくために、娘が訪ねて来る日が決まっていたのだけれど、こっそり隠れて、それを回避したんだよ」と言っていたずらっぽく笑っていらしたことを思い出しました。

そんなふうにして、かなり様態が悪くなってからも1人最後までそこに住み続けたのです。また、もうだいぶ以前のことになりますが、「あの教会のあの場所はお墓として良くないから、妻のお墓も動かしたいと思っているのだけれど、牧師さんがうんと言わないで困っている」とも言っていました。その理屈は博学過ぎて、言い回しも難しく、私にはさっぱりわかりませんでしたが、要するに、家にずっと居たかったということだったのですね。

牧師さんは、「お墓詣りはしたいだろうが、家はもう他人の手に渡っているし、庭に人が埋葬されているというのはあまり気持ちの良いものではないかもしれないので、訪ねていかないほうが良いと思う」と言われました。内緒のまま売ってしまったのでしょうか。弁護士をしているお嬢さんは、お父さんのわがままな遺言を実現させるため、苦労して埋葬許可を取ったのかもしれないと思いました。

こんなふうにして、イギリス人はときどき家に居付くのだなあと心から納得しました。数億のお金が自由にできたら、あの家が欲しかったとも思いました。「今日は物置でごそごそやって、仕掛け時計でも作っているのかな」なんて思いながら一緒に住めたら楽しかったのにと…。

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2006/08/13

イギリスから厳戒態勢の中、帰国しました

イギリスに行っていました。帰国は大変な時期になってしまいました。

未明にテロ容疑者が大量に逮捕されたその翌日発の飛行機。おまけに英国航空と同じターミナルからの出発だったため、厳戒態勢の中の帰国となりました。

機内には本も持ち込めなかったため、読む物のない私は、配られた英国紙ガーディアンを隅から隅まで読みました。

紙面には、容疑者となった人たちの、ごく普通の少年だった頃の話、近くに住む同じイスラム系住民達の驚きが載っていました。ごく普通の若者が入信し、寡黙な青年となっていき、"殉教者"となっていく様子。映画、『シリアナ』を思い出しました。

フィルムケースたった1個分の液体を混ぜ合わせ、iPodなどに仕掛けた起爆装置を作動させるだけで爆発させることのできる、リキッド(液体)爆弾のことが書かれていました。「飲んでみろ」と言われれば、おいしくはないものの飲むことはできるというもの。そのため、機内に持ち込む乳児用のミルクまで規制されるという厳戒態勢が敷かれることになったわけです。これによるテロ対策費は、航空費に加算されることになり、経済的ダメージが大きくなると書かれていました。

その他、ムスリム団体からの見方、テロ対策の組織Cobraからの発表、さらには、容疑者達の動向が把握されていたにも関わらず、この時期に避暑地に出かけていたブレア首相について若干の批判を交えた記事までありました。

乗り換え地から先はいつもののんびりした状況。財布とパスポートと搭乗券だけを、中がまる見えの透明の袋に入れ、他には何も持たずに、買い物客でにぎわうアムステルダム空港に降り立つと、若干ではありますが、難民の気分を味わったような気がしました。

感動的だったのは、ヒースロー空港の中での手際の良い人の流れの整理。面倒な手続きに従って、きっちりと検査する係員。そしてなにより、文句も言わず、辛抱強くそれに従う人々。テレビでインタビューされた人々は「これで安全が保障されるのなら、いくらでも従う」と口を揃えて言っていました。秩序を破壊する者と戦う態勢が、静かに伝わってくるような忍耐強い寡黙さ。殉教者の寡黙さと一般市民の寡黙さとを感じた長い1日でした。テロを抱えてきた歴史がアメリカ以上に長い国ならではの一般市民の底力を見たような気がします。

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2006/08/03

『ロジャー&ミー』"Roger & Me"

☆マイケル・ムーアのスタート地点が見られる作品

マイケル・ムーアの作品の中で、私は『ボーリング・フォー・コロンバイン』が特に好きだ。哀しさが伝わってきて、静かに内省する時間を与えてくれる。その元の形がこの『ロジャー&ミー』の中にも見られる。

工場閉鎖。大企業GMに依存していた町がぼろぼろになっていく。それなのに、組合を最初に作ったような土地柄もあって、人々には企業がどうにかしてくれるのではという体質が残っている。明るく笑顔で工場最後の製品となる車を送り出す人々の表情を見ると痛々しい気持ちさえしてくる。経営者はそれどころではない。貧富の差は広まる。

このドキュメンタリーの中に出てきた新しい起業の試みが哀しい。フリントを観光都市として再生しようとした市の幹部職員、お祭り騒ぎのあとに残る廃墟。ベンチャー企業を作ったり、新しい仕事で失敗していく試みは必死で哀しいのに、なぜか滑稽に映る。このあたりが後の作品で、もっと説得力のある形でクローズアップされていく部分だと思う。

のちの作品と違って、攻めのインタビューをしていないところも興味深い。しゃべっていないと不安になるアメリカ人の心理を逆手に取って、「間」を作る。不安になったところで、ついしゃべり出してしまう人をカメラは捉える。のちの作品を撮る頃には、もう相手が彼を「こいつは危険人物だ」と考え、身構えるようになってしまっているから、この手法がとれなくなったのだろう。

この映画のオーディオ・コメンタリーは必見だ。ドキュメンタリーの中で、ムーア自身がナレーターとして語っているのに、そこにさらに彼自身の解説が付く。不思議な二重構造がさらに状況を深く語ってくれる。

1999年/監督:マイケル・ムーア「ザ・コーポレーション」「華氏911」「ボウリング・フォー・コロンバイン

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