『愛しのローズマリー』"Shallow Hal"
☆ギリギリOKな笑いで描き出される差別意識。NGな人も多いかも。
容貌による差別や障害者差別、そして人種差別まで含みそうなギリギリのところを描いているのに、私にはギリギリOK。そのあたりの右と左に分かれる理由って何なんだろうと思う。
グウィネス・パルトロウがほっそりしているのに、まるで太っている人のような動作をして演じているのがすごいと思った。だから、最後のほうで同じグウィネス・パルトロウが太っているほうの役を演じていても、違和感なく可愛いと思えたのだと思う。他の人たちもすべて同じ人が演じていたら「ギリギリOK」のところが、さらに少しだけ「安心して見られる」のほうに移動したのにと思う。
こんなふうに、心の目だけで美醜を見分けられたらいいなあと温かい気分になりながら見ていたのだが、実際に自分がそうなった途端、まわりの人がみんな醜い人ばかりになってしまったら…なんて考えがわいてきた。つまり、そうなっていないところが、この映画を良い映画だなと安心して見ていられる要素となっているのだろう。
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