『阿弥陀堂だより』
☆この映画の「時の流れ」と自分を一致させることができた時、生と死が共存する世界を体験したような気がしてくる
忙しい生活の中で、居間のテレビでこの映画を観ると、ゆったりとした間の取り方についていけず、早回ししたくなるような焦燥感を覚える。しかし、映画の画面のほうが、自分のいる部屋より存在感が大きくなってくるにしたがって、自分の体までゆったりとしてくるのを感じる。だんだん回転がゆるくなっていくような感覚だ。
映画の時間の流れに違和感がなくなると、阿弥陀堂や、祭りや、灯籠流しや、静かに死を待つ恩師の姿、北林谷栄の演ずるおうめさんの姿に引き込まれ、ご先祖様がそのあたりを浮遊しているような、生と死との境があいまいな形で存在しているような村の世界観に取り込まれていくような気がしてくる。
こういう場所で暮らせたらなあと夢のようなことも考えてみるが、この時間の流れと無縁な生活を送っている自分の感覚の底にこのゆったりとした流れを理解できる元となるものがあることを知ると、日本人で良かったなあと思う。
・阿弥陀堂だより@映画生活
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