『第三の男』"The Third Man"
何気ないように見えて、実はすばらしく凝った見せ方が随所に見られ、やっぱり長く残る名作は違うと再認識した。
第二次世界大戦後、ナチス破壊の傷が残るウィーン。暗いウィーンを戦勝国の4か国が分割統治する。室内装飾にはハプスブルグ家の栄光を思わせる豪華さが残る。しかし、その豪華さは映画の雰囲気には逆の効果をもたらし、暗さがさらに強調される。抑圧された人々の気持ちが映画全体から漂ってくる。
殺人のあった家の前に集まる人々。群衆の中で、殺された人の幼い子供が「この人(ホリー・マーチン)が殺した」と繰り返し叫び、まわりの人々にドイツ語のさざめきが広がる。こわばった視線が、ドイツ語を理解できないアメリカ人ホリー・マーチンに集まる。ゆっくりとした視線の動きや人々の動き、理解できないことばが、観る者にじっくりと考える余裕と高まる緊張を感じる時間を与える。
曲がり角から登場する大きな人影、足下しか照らさない光、突然開く窓、スポットライトのような灯りの効果に突然浮かぶ顔。オーソン・ウェルズは、昔見た時は、こんな顔の人がどうしてと思ったが、今はあの魅力がわかる。最初に登場する時の表情はすばらしい。
今のハリウッド映画が売りにする、スピード感とリアルな映像の逆をいく映像。病院のベッドも悲惨な場面は映さないが、子供用のベッドの間を静かに動く看護師の姿とくまのぬいぐるみがすべてを雄弁に語る。
有名なあのチターの曲が、ストーリーに合わせて、特には不安をかきたて、時には緊迫感をもたらし、同じメロディーなのに弾き方を変え、場面によって異なる思いを乗せて、ずっと流れる。何度も見て味わいたい映画だと思った。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント