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2006/04/26

『家の鍵』"Le Chiavi di Casa"


難産の末、妻は亡くなり、生まれて来た息子は障害を負っていた。父親ジャンニは子供を捨てて、逃げ出した。

15年後、新たに家庭を持ち、生まれたばかりの赤ん坊と生活を始めていたジャンニは、息子パオロと再会することになる。パオロの医者が実の父親に託すことを薦めたためだ。パオロの養父はジャンニに不安を感じながらも、専門医に診せるためのイタリアからドイツへの旅をジャンニに託す。

障害を持つ息子の介助をどうすれば良いのかわからず、おどおどと無駄に手を出してしまうジャンニ。「左から着せられると手が痛いんだよ。何回言ったらわかるの?」とパオロは言う。親がしつけをする子供に言うセリフに似ている。知的障害も併せ持つパオロなのに、短いことばで話す内容は、時には親子関係が逆転しているかのように鋭い。

ドイツの病院で出会った、障害を持つ少女に付き添う母親ニコールのことばもまた静かで、的確だ。障害を持つ子供のことで、まわりに気遣う親の態度が問題なのだと指摘する。子供ではなく親が問題なのだとも。

奇跡が起こるわけでもないし、変に明るい未来や感動させる結末を作ろうともしていない。ただ、淡々と、ゆるやかに、ジャンニの戸惑いや小さな喜びや、心の変化を描く。原作も読んでみた。映画に出てくるストーリーは全く書かれていない。さまざまな人との小さなできごとを通して、障害者の親の思いが描かれている。両方が補い合って、理解が深まる。

2004年/監督:ジャンニ・アメリオ/キム・ロッシ・スチュアート/シャーロット・ランプリング「スイミング・プール」/アンドレア・ロッシ

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2006/04/22

『ダウンタウン物語』"Bubsy Malone"


以前、ウエスト・エンドで、子供が演じるというこの"Bugsy Malone"が掛かっていた時、見そびれてしまった。子供とは思えないほど歌がうまかったという話を聞いて、実に残念だったのをやっと映画で見ることができた。なかなかおもしろかった。

ギャングの片方のボスは野蛮な雰囲気の成り上がり風、もう一方はスノビッシュな感じがする老舗風。子役が演じる大人の世界のちぐはぐさ。ミスマッチの世界の雰囲気をうまく演じれば演じるほどおかしさが漂って、ニヤニヤしてしまう。もてる優男のバグジー・マロンもなかなかだ。しかし、ジョディー・フォスターはもうこの頃から大人のような雰囲気があり、声にも貫禄がある。格が違うというのはこのことだろう。

クラシックの室内楽は下手な子供の演奏。歌は吹き替えなので一流。ちぐはぐだけれど、ま、いいのかな。車は足で漕ぐおもちゃなのに、本格的な飾り付けのクラシックカー。うちにも一台欲しくなった。

1976年/監督:アラン・パーカー「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」「エビータ」「ギルバート・グレイプ」「小さな恋のメロディ」/スコット・バイオ/ジョディ・フォスター「フライト・プラン」「パニック・ルーム」「コンタクト」「羊たちの沈黙」「タクシー・ドライバー」

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2006/04/20

『ショーシャンクの空』"The Shawshank Redemption"


こんなに感動し、気分が高揚する映画には、出会ったことがない。何度見ても、仕掛けを知っていても、毎回新たな感動を味わうことができる。あのエンディングは年齢を積み重ねるごとに味わい深く感じられるようになっていく。なぜそんなに心を動かされるのだろう。

その鍵は、この物語の語り手に、穏やかで人の気持ちを理解する調達屋レッド(モーガン・フリーマン)を設定したことにあるだろう。主人公アンディ(ティム・ロビンス)の魅力はその寡黙さにある。したがって、そのまま彼を映しているだけでは彼の心は見えない。しかしレッドを通して語られることによって、アンディの中にあるよくわからない部分を伏線として残したまま、彼の人柄の魅力が浮き出てくる。観客は安心してレッドの語りに気持ちを同化しながら見ることができる。語られずに残され、張られたままになっている複数の伏線は、最後の場面になだれ込むようにして明らかになっていき、心が解放されるような高揚感へと形を変える。

テーマは「希望を持つこと」だ。希望はこれまでにもさまざまな映画で語られてきている。それは多くの場合、勇気や心の持ち方で語られる。しかし、この映画は「知性と教養」によって希望を保ち続けることが描かれている点が特異だ。知性と知識を磨くことによって、まわりの事柄が明確になり、正しく考えることが可能になる。彼は知力のスーパーマンなのだ。しかし、肉体派のスーパーマンと違って、観客が「磨いた分だけスーパーマン(希望)に近づくことができる」と思える点が違う。

自分の生きている空間に閉塞感を持つことは誰にでもあることだろう。そういう時に、この映画を観るととりあえずの応急処置はできるだろう。何度も観て、深く感じれば、完治するかもしれない。

1995年/監督:フランク・ダラボン「コラテラル」「マジェスティック」「グリーンマイル」「プライベート・ライアン」/原作:スティーヴン・キング「シークレット・ウィンドウ」「アトランティスのこころ」「グリーンマイル」「スティーヴン・キングのシャイニング」「イット」「やつらはとこどき帰ってくる」「スタンド・バイ・ミー」「シャイニング」「キャリー」/ティム・ロビンス「ジェイコブス・ラダー」「隣人は静かに笑う」「デッドマン・ウォーキング(監督)」/モーガン・フリーマン「ブルース・オールマイティ」「ディープ・インパクト」「ドライビングMissデイジー」/ウィリアム・佐渡ラー「グリーンマイル」

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2006/04/18

『オーケストラ・リハーサル』"PROVA D'ORCHESTRA "


個性的な音楽家達。それぞれの楽器のことを語る時は音楽家としての誇りを持ち、慈しむように楽器のことを語る。それなのに、労働者の顔になると、他の人が弾いている時は関係ないとばかりに、勝手なことをし始める。なんとまとまりのないイタリア人…。

それなのに、独裁的?な指揮者に煽られると、一転して激しい一体感のある演奏。…かと思うと、扇動家に乗せられて、ティンパニーのリズムに合わせて狂暴になっていく団員。バラバラかと思うと、ちょっとしたきっかけで共同した力を生み出すこともある。風刺の効いた作品だ。

楽器を弾く演技があまりにもおそまつで、口パクばればれという雰囲気だったので、最初に映画を観ている時は気がつかなかったのだが、見終わってから、バックミュージックとして流して聞いていたところ、話の背後にある雑音のように響く音楽にまで凝っていることがわかって驚いた。暴動の音楽はなかなか躍動感があって、一緒に暴れたいような気さえしてくる。

1979年/監督:フェデリコ・フェリーニ/音楽:ニーノ・ロータ

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2006/04/15

『第三の男』"The Third Man"


何気ないように見えて、実はすばらしく凝った見せ方が随所に見られ、やっぱり長く残る名作は違うと再認識した。

第二次世界大戦後、ナチス破壊の傷が残るウィーン。暗いウィーンを戦勝国の4か国が分割統治する。室内装飾にはハプスブルグ家の栄光を思わせる豪華さが残る。しかし、その豪華さは映画の雰囲気には逆の効果をもたらし、暗さがさらに強調される。抑圧された人々の気持ちが映画全体から漂ってくる。

殺人のあった家の前に集まる人々。群衆の中で、殺された人の幼い子供が「この人(ホリー・マーチン)が殺した」と繰り返し叫び、まわりの人々にドイツ語のさざめきが広がる。こわばった視線が、ドイツ語を理解できないアメリカ人ホリー・マーチンに集まる。ゆっくりとした視線の動きや人々の動き、理解できないことばが、観る者にじっくりと考える余裕と高まる緊張を感じる時間を与える。

曲がり角から登場する大きな人影、足下しか照らさない光、突然開く窓、スポットライトのような灯りの効果に突然浮かぶ顔。オーソン・ウェルズは、昔見た時は、こんな顔の人がどうしてと思ったが、今はあの魅力がわかる。最初に登場する時の表情はすばらしい。

今のハリウッド映画が売りにする、スピード感とリアルな映像の逆をいく映像。病院のベッドも悲惨な場面は映さないが、子供用のベッドの間を静かに動く看護師の姿とくまのぬいぐるみがすべてを雄弁に語る。

有名なあのチターの曲が、ストーリーに合わせて、特には不安をかきたて、時には緊迫感をもたらし、同じメロディーなのに弾き方を変え、場面によって異なる思いを乗せて、ずっと流れる。何度も見て味わいたい映画だと思った。

監督:キャロル・リード「フォロー・ミー」/原作:グレアム・グリーン/ジョセフ・コットン/オーソン・ウェルズ/アリダ・ヴァリ

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2006/04/13

本)『ダヴィンチ・コード』


映画が待ちきれなくて本を読んだ。

緊迫した場面で謎を解いていくところに切迫感があって、活字を読む目が思わずつまずきそうになるくらい引き込まれて読んでしまった。キリスト教を裏返したような世界観が広がり、そこに描かれて行く壮大な構図にわくわくした。ありそうじゃないけれど、ありそうな世界かも…と。『アイズ・ワイド・シャット』も出てきて、映像が重なる。

しかし、聖書のほうがそれほど読まれていない日本で、こっちが大ブレークしてしまうというのは、元ネタを知らないでパロディだけを楽しむみたいなものでちょっとまずいかもという気もする。マグダラのマリアが王族の出で、キリストの奥さんだったなんてほうが"世に知られた定説"になるなんてことはないと思うけれど…。

ちょっと尻すぼみの感じがしたが、映画がそのあたりをどう料理するのか楽しみだ。

『ダヴィンチ・コード』ダン・ブラウン著 越前敏弥訳 角川文庫

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2006/04/11

『タッチ・ザ・サウンド』"Touch the Sound"


音を聴くことは、音に触れること。それが、エヴリンを通して伝わってくる。物と物がぶつかって、そこから音が聞こえてくるという表面的なものではなく、その下にある空間、その物体との触れ方、接触、質感、そして叩く人間の骨格、身体、内臓、さらにはそれらのまわりにある空気すべてから、その音の深みが醸し出され、振動という形で、伝わって来るものであることが、感じられるような気がしてくる。

エヴリンは聴覚障害者だ。取材の電話には、いったんそれを受けて口形をなぞる人、という仲介を経て答える。しかし、「聴覚障害者なのに」という表現は当てはまらない。たぐいまれな音楽の才能を持った音楽家が、たまたま成長の過程で聴覚を失ったことにより、聴者が気づかない音の深さ、メカニズムを感じることができるようになり、ドラマーとして新しい境地を開拓したという言い方のほうが正確だ。

エヴリンが生み出し、イヴリンが「聴く」音と、私が聴く音とが同じだろうかと、ふと思う。そして、そこにのせた気持ちを感じることが、同じ音を聴くという意味ではないかということに思い至る。

ニューヨーク、スコットランド、イギリスのケンブリッジ近郊、日本と、私にとって意味のある土地を巡っていく旅だったこともあり、格別の思い入れをもって見入ってしまった100分だった。

このところ、岩波ホール「二人日和」、銀座テアトルシネマ「ホテル・ルワンダ」と、メジャー系でない映画館の良さにはまり始めている。この作品も渋谷ユーロスペースという"通"な感じの映画館で鑑賞。

監督:トーマス・リーデルシェイマー/エブリン・グレニー/フレッド・フリス
タッチ・ザ・サウンド@映画生活

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2006/04/04

『ホテル・ルワンダ』"Hotel Rwanda"


見終わってしばらくは何も言えなかった。ことばを発するのも恐いくらいだった。涙を流したり、感動したり、心を洗われたりしたのでは、落としてはいけない何かを捨ててしまうことになる。この不安定な気持ちをそのまま持ち続けなくてはと思った。

しかし、書き留めておかないとその雰囲気だけが残って消えていきそうなので、映画鑑賞から1週間経とうとしている今、つたない文章を書き留めておくことにした。

知らなかった。いや、知らなかったわけではない。小さな記事が新聞に載ったことは覚えている。ツチとフツということば、それになんだかすごい数字だけは記憶にあった。しかし、それだけだった。知らない国の知らない出来事のままだと想像できない。

この映画には、普通の映画に出てくるようなタイプのヒーローは出てこない。主人公のポールは、西洋寄りの特権的立場にいるし、賄賂も使う。おまけに、頼りにしていた"世界"から見放されて無力にもなる。

しかし、彼はこれまでにビジネスの世界で発揮してきた才覚を、非常時においてもこれまで通りのやり方で発揮した。考え、戸惑い、混乱し、無力感を持ち、困難の中から"結果的に"、正しいことを選択していくことになる。自己犠牲や世の中を救うことを考えているわけではない。ただ家族を守りたいという気持ちと自分の仕事に対する誇りがあるだけだ。国連のオリバー大佐も記者も赤十字の女性も、無力な面は無力なままだ。

ビルの屋上での2人のシーンは示唆的だった。平和な国にいる私たちはテレビの画面に映る湾岸戦争の映像を見た。あの映像のような光景が、少しだけ隔離されて安全なところにいる2人の目に映る。しかし、2人は、俯瞰することのできるその光景が、そのまま無力な自分達のまわりで起きている現実であることを実感している。

映画には描かれていないが、このモデルとなった家族は、実際に国を抜け出すまでの間、つかのまの安全圏であったホテルから離れた後、さらに多くの試練に直面している。混乱の中、捨象されている部分のほうが多いくらいであろうことは、映画を観ているだけでも伝わってくる。また、今も活躍しているこの実際の人物のことを考えると、映画の中のポールよりさらにやり手でたくましい人物であろうことも想像できる。しかし、この映画のメッセージは重要だ。平常時、目の前にある仕事で発揮してきた能力をそのまま使って、最善を尽くして困難を切り抜けることが可能だということ。自分のやるべきことを見失わないことが大切だということ。

普通、映画を観たり本を読んだりすると知ったことが増えるものだ。しかし、この映画を観ると、知ったことの後ろにある知らないことがさらに増えて、迫ってくる。もっともっと知らなくてはと思った。目の前のことと、もっともっと遠くで大きく全体を動かす力、その2つを知りたいと思った。

監督:テリー・ジョージ/ドン・チードル「クラッシュ」「16歳の合衆国」「オーシャンズ11」「ミッション・トゥ・マーズ」「トラフィック」「ブルワース」/ソフィー・オコネドー/ニック・ノルティ/ホアキン・フェニックス「ヴィレッジ」「サイン」「グラディエーター」「リターン・トゥ・パラダイス
ホテル・ルワンダ@映画生活

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