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2005/10/26

ムーア批判をどう考えるか/『ボウリング・フォー・コロンバイン』


昨日書いた記事で、この映画に感銘を受けたことを書いた。あまりにも感銘を受けてしまったので、マイケル・ムーア批判がどういうものなのか、もう少し調べて、自分が"洗脳"されたのかどうか確かめたいと考えた。

主に参考にしたのはこのページ。↓
http://www.mooreexposed.com/bfc.html

このサイト、かなり詳細に映画を分析している。ざっと読んでみて、自分が"洗脳されて"、間違った判断に導かれていたと、はっきりわかる部分が1か所あった。

私はこの映画を見て、「NRAは、銃による悲惨な事件があると、わざわざそこへ出かけていって、銃所持を正当化するキャンペーンを張っているのだろう」と思った。そして、それが批判をかわす戦術なのだろうと思った。

しかし、チャールトン・へストンの元の演説と、映画に出てくる演説のことばを比べてみると、真ん中が削除され、別の文の主部と述部が編集されて、ひとつ文のようになっているところがあることがわかると指摘されていた。

 *「市長へこう言った」のあと、「私は18歳の時に志願して軍に入り、ナイジェリアからベトナムまで従軍した」に続くメインの部分が削除され、演説のさらに先に出てくる、「この国はアメリカ人として自由に行き来できる国だ。来るな? 私はもう来てしまっている。」の部分がそのまま編集して付けられている。

また、これほど大規模な大会だから、事件が起こったからといって急に企画するのは無理があり、前々から決まっていたもので、変更できなかったのだとする主張も頷けるものだった。

また、6歳の子供の事件のあったフリント近くでの演説はNRAの大会ではなく、大統領選のキャンペーンの一環としてチャールトン・へストンが出ておこなったものであり、しかも3日間で3州にわたる地域の9か所をめぐってした演説のうちの1つであることを知ると、映画の最後のほうに出てくるインタビューで、8ヶ月前にその事件がその地で起きたことを、彼が「知らなかった」と答えているのも、無理はないことであり、嘘をついているのではなさそうだと感じた。

たぶん、チャールトン・へストンの部分はかなりねじまげられてしまったのだろう。それ以外の批判については、「そんなこと、最初からわかって見ている」という部分と、「難しすぎてわからないし、両者にはそれぞれの見解があるのだろう」と思える部分とに分けられた。

私は昨日、この映画の感想を書いた時、まだこの批判サイトを読んでいなかった。しかし、感想の中にはチャールトン・へストンについての部分は書かなかった。彼を不当にバッシングする気になれなかったし、この部分についてわざわざ書くほど、映画自体の主張と明確につながっているように思えなかったからだ。彼が登場する部分はあまりに情緒的に扱われすぎている。

その部分をなしにしても、前に書いたようなメッセージは充分に伝わってくる。他の作品も見てから、この監督のことを判断したいが、この作品については、「ねつ造」と叫ぶより、自分が受け取ったメッセージのほうを大切にしたいというのが私の出した結論だ。

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