『ボウリング・フォー・コロンバイン』"Bowling for Columbine"
極端な考え方に洗脳されたくなかった。事件の時、たまたまアメリカに住んでいて、TVで目の当たりにしてしまったあの悲劇をこれでもかと見せつけられるのは嫌だと思った。同じ日に行われた、クリントン大統領のコソボ攻撃もあの事件で薄らいでしまった。苦々しく、救いようのない気分にされたあの日がよみがえる。
それでも、もしかすると良い作品なのかもしれないとふと思い立ち、見ることにした。全然極端ではなかった。「銃による悲劇は、米国人の中に巣くう恐怖の念がもたらすもの」という考え方はストレートに心に響くものだった。また、そのことばが、コロンバイン高校の悲劇の原因となった歌だとされたマリリン・マンソンの口から出てきたことばに基づいているのが印象的だった。思い描いていたイメージとは違って、静かで考え深い語り口のロック歌手だった。
あの悲劇が起きた高校の天井のカメラに撮られた、犯人となった2人の青年の動き回る姿が映し出された。あんな映像があったのだ。悲しくなった。『サウス・パーク』の作者、マット・ストーンがインタビューの中で言っていた「学校ではめられる型以外の生き方が、外の世界にはたくさんあるのだ、ということを知らされずに袋小路に追い込まれていく若者」のことをくっきりと思い描くことができた。
日本の銃による殺人は極端に少ない。それは私たちが銃を持っていないということだけの話だ。ここに描かれている「恐怖」の原理に動かされてしまう心を、私は自分の中にも感じることができる。あそこに出てきた、鍵を掛けずに生活し、「なんでそんなこと聞くの?」という顔をするカナダ人と私は違う。
古き良き時代を思わせる、ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」"What a Wonderful World"が、バックグラウンドに使われている。しかし、映るのは、あの悲惨な映像。そして、同じ曲が最後に違った調子で歌われる。逆説的に使われているのに、メッセージがしっかり伝わってくる。効果的な使われ方であり、また、曲自体もすばらしい。
マイケル・ムーアの作品がもっと見たくなった。(その後「華氏911」も見ました。)
*その後、「ムーア批判をどう考えるか」という記事を書き足しました。
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コメント
ちんとんさん、私のブログへのコメント&TBありがとうございました!
ルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」が流れるシーンはとても印象的でした。
私の「アメリカに任せておけば大丈夫」という安心感を「アメリカに任せておいて大丈夫なのか?」という不安感に変えてくれた作品です。
マイケル・ムーアの勇気とユーモアに拍手を送りたいです!
それでは、またオジャマいたします。(笑)
投稿: rohi-ta | 2005/10/25 09:41
最近,つとにドキュメンタリーのオモシロさにとりつかれておりまして,何かとりあげようかなあと思っていた矢先に,ちんとんさんの名文を拝見しましたので,TBさせていただきまーす。
マンソンについては,私もちんとんさんと同じ印象を受けました。これはムーアの術中にはまったということでしょうかね?
投稿: バウム | 2005/10/26 00:02
rohi-ta さん
コメントありがとうございます。
私も似たような不安を覚えました。「任せる」を通りこして、「アメリカ的価値観に洗脳されてしまった自分をどうしよう」という感覚です。
彼のユーモア感覚はすばらしいですね。オウム事件が起きた頃、日常の中で、あの事件をちゃかして笑いに変えてしまうことの危険性が言われていました。ムーアの笑いは、笑ったあとで、考えさせられる。両者の違いを感じました。
投稿: ちんとん | 2005/10/26 08:44
バウムさん、コメントありがとうございます。
記事も読ませていただきました。
私も、自分が洗脳されてしまったのかなという不安が残っています。テレビでのドキュメンタリーは時々見ますが、ドキュメンタリー映画というのを見たことがなかったので、まだ、自分の目ができあがっていないのです。
『華氏911』以降、マイケル・ムーア批判はかなり耳にしますから、いろいろサイトを見て回ってみました。日本のサイトで具体的に指摘したものが見つかればと思ったのですが、今のところ英語のものしか見つかっていません。
「追記」という形にするか、別の記事にするかまだわかりませんが、この映画に対する批判もまとめてみたいと思っています。
投稿: ちんとん | 2005/10/26 12:26