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2005/06/25

『アメリカン・ビューティー』"American Beauty"



公開と同時に映画館で見た時は、地味で陳腐なドラマだと思った。ところが、今回、ビデオでじっくり見て、なんと味わい深い映画なんだろうとその芸術性に驚いてしまった。

その上、音楽が良い。レスターの頭の次元が少しずつずれていって、少女との非現実的な陶酔の世界に入っていく様子が、少しずつねじの回転がずれていくような音楽によっても表され、自分の頭の次元も狂っていくような錯覚に陥る。

この映画を見ていると、中産階級のアメリカ人がいかに「理想」に振り回されているかがわかる。庭のバラ、イタリア製のシルク張りのソファ、絵に描いたような「幸福な家庭」を演じ続けなくては負け犬(looser)になってしまうという強迫観念。

ところが、その優等生的な理想にとらわれなくなった瞬間から、急にタガがはずれたようになる。解き放たれたレスターの顔は実にすがすがしい。強迫観念から解放された、平凡さの仮面の下に初々しい素の顔を持った美徳(beauty)が見えてくる。

リッキーの細やかな感受性は、さらに根源的な美(beauty)を捉える。風に舞うビニール袋に、死んだ鳥に、そして、自分を見つけられなくて静かに沈潜しているジェーンの内側に。私には、袋が舞う映像の美はわかりにくい。しかし、それを見つめて動かない若い2人の後ろ姿と、それを見つめるリッキーの顔は美しいと思う。

映画を見終わってから、しばらく、あの「キス」の意味を考えていた。彼の、ゲイに対する異常な憎しみは、やはり彼が潜在的にゲイであったことから来るものなのであろう。そして、拒否される。この拒否は、屈辱的であったばかりではない。それを認めてしまったのに、受け入れられず、救いさえ得られなかったことによる破滅をも意味する。さらに、本当は愛していた息子を、自分の元から去らせてしまった自分の行動が、実は誤解に基づいていたことを決定的にするものでもあったのだ。そう考えると、「あの行動」は納得できる。

今頃になって、あの公開時、口コミでニューヨーク郊外の映画館がいっぱいになっていた意味がわかった気がする。

1999年
監督:サム・メンデス(「ロード・トゥ・パーディション」)
音楽:トーマス・ニューマン(「ロード・トゥ・パーディション」「ペイ・フォワード」「グリーンマイル」「エリン・ブロコビッチ」「オスカーとルシンダ」「ショーシャンクの空に」「若草物語」)
レスター・バーナム/ケビン・スペイシー(「光の旅人 K-PAX」「16歳のアメリカ」「ペイ・フォワード」「交渉人」「ライフ・オブ・デビッド・ゲール」)
キャロリン・バーナム/アネット・ベニング(「バグジー」「2999年異性への旅」)
ジェーン・バーナム/ソーラ・バーチ(「ホーカス・ポーカス」)
リッキー/ウェス・ベントレー
アンジェラ/ミーナ・スバーリ

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2005/06/12

『恋愛小説家』"As Good As It Gets"


不潔恐怖症で、外に出る時は手袋をしないとタクシーのドアにも触れられない。レストランにはフォークとナイフを持参するという恋愛小説家ユードル(ジャック・ニコルソン)が主人公。本当は優しい心を持っているのに、口から出てくるのは毒舌。書いている小説とは正反対の男ユードルとその一風変わった思いを受けて立つウエイトレス、キャロル(ヘレン・ハント)の話。

2人はこの作品でアカデミー主演賞を取っているのだが、その陰で見逃せないのが、ゲイの画家であるサイモン。絵を描きながら、その純粋な心でモデルの一番良いところを引き出す才能がある。モデルもそれを感じて良き心が解放されていく。心底優しい人間であることが彼の表情、身振り、しぐさすべてにあらわれている。

ひらめきを感じて少しの間一緒に仕事をしたモデルの男性がいた。その彼が泥棒の手引きをしたことがわかる場面がある。サイモンの顔は「こんな良い面を持っている君がそんなことをするなんて」と傷つき、曇る。モデルのほうもそれを受け止め悲しい顔になる。(端役なのに、彼の演技も光っている)

少し弱いくらいのキャラクターであるサイモンが、この映画のカナメにいることによって、個性的過ぎて、とても分かり合えるとは思えない人たちの心が解きほぐされていく。この映画の本当の主人公はサイモンではないかと思えてくる。

* 余談だが、この映画を見て、アメリカの医療保険制度の過酷さを改めて感じてしまった。自分の入っている保健がカバーしているかどうかによって受けられる治療が限定されてしまう。そして事故で短期間入院しただけであっても、保険外の治療を受けようとすると破産することさえあるのだ。そして、その社会には、高い保険料を払うことのできる人もいれば、カバーされていないその額さえも簡単に払うことができる人たちもいるという社会。厳しい。

1997年
監督:ジェームズ・L・ブルックス
ユードル/ジャック・ニコルソン(「アバウト・シュミット」「シャイニング」「イーストウィックの魔女たち」「カッコーの巣の上で」「イージー・ライダー」)
キャロル/ヘレン・ハント(「ペイ・フォワード[可能の王国]」「キャスト・アウェイ」「ツイスター」)
サイモン/グレッグ・キニア(「ギフト」「ユー・ガット・メール」)
フランク/キューバ・グッディング・Jr(「奇蹟の輝き」)
ヴィンセント(モデル)/スキート・ユーリック(「スクリーム」)

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2005/06/06

『レナードの朝』"AWAKENINGS"



 映画の邦題がとても良い。原題は"Awakenings"だが、「目覚め」「覚醒」とせずに『レナードの朝』としたことが映画全体を生き生きとさせている。そして、これが事実に基づいているというのだから圧倒されてしまう。

 20歳の頃から体が硬直し、意識もなく、無反応のような状態に陥っていたレナード(ロバート・デニーロ)に、30年ぶりの朝が来る。新任の引きこもりタイプの医師、セイヤー(ロビン・ウイリアムズ)が、精神病院の中で、治療の意味なしとされていた一連の患者にLドーパという新薬を試した結果、奇跡のようなできごとが起こったのだ。

 この場面は本当に感動的だ。30年の眠りから目覚めたレナードが、扇風機に風を感じ、動き出した自分の体を感じる。筋肉の動きをぎこちなく確かめながら、少年の時の感性のまま、とまどいながらも、初々しく外の世界との触れ合いを開始する。ずっと看病してきたスタッフ1人1人と「初めまして」と挨拶していく場面は静かな感動を呼び起こす。そして、セイヤー医師は人々の基金を得、他の患者達にも新薬を試みる。残りの患者達が一斉に静かに目覚める夜の病院の場面もすばらしい。

 しかし、楽しい時は長くは続かない…。

 ボールを反射的に受け取るこの病気の患者の特性を診断する時の様子など、様々な場面でくすっと笑ってしまう。また、ほのぼのする場面、はらはらする場面、すべてが、「そう感じて良いんだよ」と言われているかのようにわかりやすく描かれている。そのため、安心して、素直に感動に浸ることができる。

 どんでん返しの連続だったり、オチがあったりする映画とは違った、古き良き時代の秀作を見たというような満足感にじっくりと浸ることができた。

1990年
監督:ペニー・マーシャル
レナード/ロバート・デ・ニーロ(「ハイド・アンド・シーク」「ミート・ザ・ペアレンツ」「アナライズ・ミー」「ウワサの真相 ワグ・ザ・ドッグ」)
セイヤー医師/ロビン・ウィリアムズ(「アンドリューNR114」「奇蹟の輝き」「パッチ・アダムズ」「フラバー」「グッド・ウィル・ハンティング」「ジャック」「ジュマンジ」「ミセス・ダウト」)

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2005/06/02

『キャッツ』"CATS"と『サンセット・ブルバード』"Sunset Boulevard"


 ミュージカルのことを書きたくなった。

 初めて見たミュージカルが『CATS』だった。イギリスで生活を始めてすぐの頃に見に行った。

 それほど大きくない劇場に入ると、そこはゴミ置き場。しかもそのゴミは、実物よりかなり大きい。それが目の前に雑多に、しかも芸術的に置かれている。急に自分が猫のサイズになったのだと知らされる。おかしな空間に入り込んでしまったという臨場感に圧倒された。

 写真で見たり、テレビで垣間見たりして期待していた猫達が、期待以上の動きで踊り回った。子どもの頃にディズニー映画を見て、わくわくした時の気持ちに似たものがわき上がってきて、それが観劇中ずっと持続していた。

 しかし、ストーリーは気落ちするものだった。グリザベラが本当に心底、汚らしく、醜く見えた。ロンドンの観客には白髪の老夫婦が多い。そういう人たちはどう思って見ていたのだろう。若さを懐かしく思う気持ちがあったとしても、あそこまで老醜を突きつけられたら気分が落ち込むのではないだろうか。本場のミュージカルを見て、感激は大きかったのだが、何か割り切れないものも残った。

 その後、CDを聞く機会があった。そのグリザベラは全然違う印象だった。歌っていたのは、初演の時のElaine Paige。つやのある声。生まれ変わりたいという老醜でなはなく、若者が持つ「夢」と同じような響きで希望を語っていた。それだけすばらしい青春を過ごすことができたからこそ、もう一度生まれ変わりたいと思えるのだろうと、老いた猫に重なった、若き日の美しい猫の姿が見えるようだった。

 その後、思ってもない機会が訪れた。そのElaine Paigeが『サンセット・ブルーバード』を演じるというのだ。まさに「若い男に捨てられる老いた女優」という役を演じるのだ。Elaine Paigeにとっても、『CATS』の初演からは20年近くの年月が流れている。どう演じるのだろうと思いながらも劇場に足を向けた。

 結果は、良かった。すばらしかった。思わず立ち上がって拍手をしてしまった。まわりもどっと立ち上がった。観客総立ちとはこのことだろう。

 ノーマの女優だった花の時代は過ぎたが、本当のファンはまだいる。執事がずっと陰で慕ってきたほどの魅力がまだそこにはある。そういうストーリーが心から納得できた。理屈ではない。いや、ミュージカルを理屈で見ていると、逆の結論になることも多い。声がその結論を方向を決めるのだ。

 舞台の感動は、大きい時は映画の感動よりスケールが大きい。しかし、いろいろな要因で、同じ演目であっても印象が全く変わってしまうことがある。あまりにもすばらしいものを見てしまうと、恐くて、次の上演に足を向けることができなくなってしまう。

 でも、また見に行きたくなってきた。

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