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2005/04/30

『ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ』"Hide and Seek"


 お目当ての映画はまだ上映されていなかった。じゃあ、何を見よう。そこで、「怖い映画は映画館では見ない」という信念を曲げて、見ることになってしまったのがこの映画。ところが、それが良かった。目を覆うような場面はあまりないのに怖い。演技が怖い。雰囲気が怖い。ニューヨークのハイソな家も、田舎の風情のある家も素敵で怖い。何よりも、事前の知識ゼロだったおかげで、最後の最後まで楽しめた。

 ネタバレするようなことは書きませんが、それでも、未見のかたは以下の文章は読まずに映画館にいらっしゃることをお薦めします。
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 エミリーは両親の年齢から察するに、遅く生まれた子。人一倍可愛がられて育っていたことが推察される。ところが、母親が突然自殺し、エミリーの顔からは表情が消え、変調を来す。父は、ニューヨークの豪邸から、夏以外は閑散としている田舎の家に移り住むことにする。娘の心の安定に専念することにしたのだ。

 引っ越ししたすぐあとから、エミリーにはチャーリーという友達が見えるようになる。心理学者の父親らしく、子どもとの対話は慎重に言葉を選び、心理学的に分析はしながらもチャーリーの存在を受け入れ、冷静に子どもと接していく。しかし、おかしなことが次々と起こり、ついには悲惨なことが…。

 怪しげな人ばかりいるので、さまざまなジャンルのさまざまなストーリー展開を想像してしまった。いくつも映画ができそうなくらい。そして、チャーリーの正体が明かされ、私はびっくりした。ふうむ、そう来たかと思いもしたのだが、腑に落ちない点も…。そして、最後の最後に見せられた映像を見て、しばらく考え、納得した。

 あの子にも名前はあるはずだ。なんという子なんだろう。映されていない映像が次々と脳裏に浮かんできた。

[2005/5/9追記]
 この文章を書いたあと、ブログのトラックバックをたどって、いろいろな方の文章を読ませていただきました。読んだ中で、一番納得できて、一番気分がすっきりしたのがここです。映画をご覧になったかたは、ぜひ、つっきーさんの『ハイド・アンド・シーク』の文章をお読みになってみてください。

 私は「部分的にはすでに…」(←ネタバレしないようにぼかしています)という見方をしていたのですが、つっきーさんの意見寄りに修正します。

<2005年/監督:ジョン・ポルソン デビッド:ロバート・デ・ニーロ「ミート・ザ・ペアレンツ」「アナライズ・ミー」「ウワサの真相 ワグ・ザ・ドッグ」「レナードの朝」/エミリー:ダコタ・ファニング「コール」

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映画で語られる死刑制度

 死刑制度を扱った映画について、まとめてみました。見ていない作品の中にもまだまだ重要なものがあると思うので、なにかありましたら教えてください。
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デッドマン・ウォーキング』 (1995年)

 死刑囚のカウンセラーをしてきた修道女の話をもとに書かれたフィクション。被害者の側の心情もていねいに描き、死刑制度を正面から描いた正統派の作品。スーザン・サランドンが修道女役でアカデミー主演女優賞を受賞した作品。

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ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』(2003年)

 死刑反対を訴えていた学者、デビッド・ゲイル(ケビン・スペイシー)が死刑囚となってしまう。死刑まであと数日を残すのみという状況。はたして冤罪なのか。サスペンスタッチで描かれる。

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『グリーンマイル』 (1999年)

 死刑囚が収監されている刑務所の看守達(トム・ハンクス他)と死刑囚(デイヴィッド・モース他)の交流が描かれる。死刑の克明な描写がショッキングだが、メルヘンチックな面もある不思議な話。原作はスティーヴン・キング。

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理由』 (1995年)

 死刑廃止論が前面に出ているが、いろいろな問題が未整理のまま盛り込まれているので、見ているとますますわからなくなっていく面もある。死刑廃止を持論とする弁護士をショーン・コネリーが演じる。

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ダンサー・イン・ザ・ダーク』 (2000年)

 死刑廃止論はこの映画のテーマではないが、死刑について考えさせられてしまう後味の悪い映画。ビョークの演技と歌が不思議な雰囲気を醸し出す。

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チョコレート』 (2000年)

 親子代々、死刑執行人を仕事としてきた男と死刑で夫を失った女との出会いを描く。ハル・ベリーがアカデミー賞主演女優賞を受賞した作品。

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リターン・トゥ・パラダイス』 (1998年)

 卒業旅行でマレーシアに出かけ、青春を楽しんだ3人のうち、1人が麻薬所持で死刑囚となる。彼を救おうとする弁護士(アン・ヘッチ)の活躍と残りの2人の行動を描く。

コメントを読まれるかたへの注意! 最後に「死刑があるかないか」に触れてしまうことになるので、読む時はさらっと読んでください。

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2005/04/28

『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』"The Life of David Gale"


 死刑制度の問題点が提起され、サスペンスタッチで話が進む。死刑を4日後に控えた死刑囚デビッド・ゲイルは本当に有罪なのか。インタビューアーとして指名されたベッツィーはそこに何を見出すのか。哲学を教える大学教授として優秀で、知的ではあるが、人間としてはごく普通に欠点も持つデビッド・ゲイルのたどった道が見えてくる。

 台詞が緻密に計算されてストーリーに組み込まれている映画だ。本筋とは関係のなさそうな大学での講義の内容や、テレビ出演でのディベート、酔っぱらって吐くことばにいたるまで、思想の断片が記されている。伏線となっている部分でもあるのだが、気づく人はほとんどいないだろう。私は、2度見て初めて、そこここで語られている言葉に意味があることに気づき、あっ!となった。

 ネタバレ、反転して読んでください。ここから→最後の最後のどんでん返し、オフレコ・ビデオの意味。これは無実の死刑囚を救うことができずに傷ついているベッツィーを、心の痛みから解き放つ「自由への鍵」だったのだと思う。つまり、「死刑執行に間に合わなかったのは君の責任ではない。それも私の計画の内だったんだ」というメッセージ。

 適当なところでビデオを発見させる役目はダスティがしっかり果たす。弁護士もグル。だから、インタビューアーが誰であってもこの計画は失敗はしなかっただろう。彼女が選ばれた理由は、このオフレコ・ビデオの秘密が守れること。自分の計画のために利用したジャーナリストの心の痛みにまで配慮して行動したデビッドに、それまでの不完全で飲んだくれだった彼とは違った、苦しみの中で別の次元へと成長した人間を感じた。

 理屈を好む、知的な人間らしい生き方の選択がみごとに描かれている。その分、感情に訴える面が少なくなっているが、こういう描き方もありだと思うし、私は好きだ。

 *死刑制度が描かれている映画には他にこんなものがあります。

2003年/監督:アラン・パーカー「エビータ」「ダウンタウン物語」/デビッド・ゲイル:ケビン・スペイシー「光の旅人 K-PAX」「シッピング・ニュース」「ペイ・フォワード(可能の王国)」「アメリカン・ビューティー」「交渉人」/ベッツィー:ケイト・ウインスレット「エターナル・サンシャイン」「ネバーランド」「タイタニック」/コンスタンス:ローラ・リニー「デーヴ」「ラブ・アクチュアリー」「トゥルーマン・ショー」/ザック:ガブリエル・マン/ダスティ:マット・クレイブン

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2005/04/23

『海の上のピアニスト』"The Legend of 1900"

 船で生まれ、生涯、船から下りることのなかったピアノ弾きの話。主人公のナインティーン・ハンドレッドは「ピアニスト」ではなくて「ピアノ弾き」と呼ぶほうがぴったりくる。

 普通、ピアノ曲というものは、同じ曲を繰り返し聞くことによって、頭の中に映像を描くことができるようになるものだと思う。しかし、この作品は、そのものずばりの映像を一緒に見せてくれるので、曲が語りかけてくる感覚を最初からつかんで楽しむことができる。

 ディナーに来ているお客ひとりひとりを観察しながらそれを音に表していく場面、窓越しの少女の動きを音にする場面、嵐で大揺れになるホールでピアノと一緒にスケートしながらのワルツ。そこでは、音が言葉に置き換わったかのようにわかりやすい形で聞き手に語りかけてくる。音楽ってこんなに理解しやすいものだったのかと思う。ジャズピアニストとの対決もわくわくする。

 映画のストーリーそのものより、ピアノを介した音で語られるモチーフを楽しむ作品だ。

 「ピアノもの4作品」(←勝手に命名)のピアノの音を比べると、ピアノの語りかけが一番楽しめるのがこの作品。音に情念を感じるのが『ピアノ・レッスン』。正統派の演奏を聞けるのが『戦場のピアニスト』。本人の弾く演奏会に行きたくなるのが『シャイン』。甲乙付けがたい4作品だと思う。
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1999年
監督:ジュゼッベ・トルナトーレ
ナインティーン・ハンドレッド 1900(ピアニスト)/ティム・ロス
マックス(トランペッター)/プルット・テイラー・ヴィンス(「シモーヌ」)

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2005/04/22

『ルル・オン・ザ・ブリッジ』"Lulu on the Bridge"

!!注意 ネタバレ全開 注意!!
!!注意 ネタバレ全開 注意!!

いきなりネタバレなのでここだけ反転→「なーんだ夢だったのか」という映画ではないと私は思う。発砲事件で瀕死の重傷を負ったサックス奏者イジー。命は取り留めたもののサックス奏者としての命を絶たれ、絶望の底にある彼は不思議な石に出会う。そして、信じられないような時を過ごすことになる。これは現実の出来事なのだ。夢のようなラブストーリー。

 あの石はパンドラの箱にはいっていた「希望」と「あらゆる災厄」だったのではないだろうか。不思議な博士は、石の危険性を知っていてそれを取り戻そうとしたのだろう。

 セリアがなぜ身を投げたのか。石が2つに分かれていたことは何を意味するのか。そのあたりがわからない。しかし、石の前で、本当の愛のために自分の命を引き替えにしても良いと言ってしまったイジーは、その希望通り、セリアと命を引き替えてしまう。少しばかり不思議な形で…と私は理解した。

 サックスの音が魅力的だ。ニューヨークとダブリンそれぞれの暗さが違った雰囲気を醸し出している。ミラ・ソルヴィーノが美しい。ハーヴェイ・カイテルはやっぱり不細工、それなのに魅力的だ。ウィリアム・デフォーの神経質な知性がいい。ヴァネッサ・レッドグレイブは素敵に年を取っている。どの役者も魅力的だ。
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1998年
監督/ポール・オースター
イジー/ハーヴェイ・カイテル(「ピアノ・レッスン」「バグジー」)
セリア/ミラ・ソルヴィーノ(「ロミーとミシェルの場合」)
博士/ウィリアム・デフォー(「僕の神様」「イングリッシュ・ペイシェント」「プラトーン」)
ハナ/ジーナ・ガーション
キャサリン/ヴァネッサ・レッドグレイブ(「17歳のカルテ」「ミッション・インポッシブル」「ジュリア」「トロイアの女」「裸足のイサドラ」)
*「 」内はその人の作品のうち見たことのあるものの題名

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2005/04/17

『カッコーの巣の上で』"One Flew Over The Cuckoo's Nest"

!!ネタバレ注意!!
結末はぼかしてあるけれど、ネタバレすると思う。映画を見ていない人は読まないほうがいいよ~。
!!ネタバレ注意!!

 とても興味深い内容だった。1960年代の精神病院の状況を批判している。しかし、描かれている内容が管理社会と人間の尊厳といった他の問題にも敷衍して考えることができるものなので味わい深い。

 『カッコーの巣の上で』という題に表わされるように、入院患者達は巣の中で庇護されて生活している。婦長は穏やかで、感情の乱れの片鱗も見せることのない実力者だ。絶対的な論理と権威で君臨している。

 患者達は個性的で、無邪気で、表情豊かで、明るい。そこに型破りなマークが加わり、波紋が広がる。それまでは、自分を解放できなかった患者達も、野球のワールドシリーズを見たいという意思表示ができるようになり、バスケットボールを楽しむようになる。「遠足」に至っては実に生き生きとしている。「精神学会の博士」として紹介される場面での患者達の表情は実にそれらしく見えて、笑ってしまう。

 入院してまもなく、問題を起こしたマークの処遇について会議が開かれ、刑務所に送り帰そうということになる場面がある。その席上、婦長が「(刑務所に送るのは)他人に問題を押しつけるにすぎないので不本意だ。自分たちで救えると思う」と発言する。これこそが落とし穴だったのだが、ここで私は「なんだ、この婦長さん本当は良い人なんじゃない」と思ってしまった。

 婦長のこの「思い」こそが、実は落とし穴であったことが、最後に、ビリーの件ではっきり見せつけられることになる。婦長は間違った母性愛の象徴のように見える。「子供達」をがんじがらめに縛り付け、「良い子」のままに支配下に置こうとする。患者達はいつまでたってもその庇護の下に置かれ、母性のほうも飛び立つことを望まない。その結果があの悲惨な結末を招く。

 婦長が本当の悪者に見えないのは、この「母性愛」に鍵があるのではないだろうか。マークが患者に示し、自己解放に一役買った「父性」的なものもマークと一緒に葬り去られてしまった。しかし、父性によって傷ついていたチーフが最後に自分を取り戻し、解放していく姿には救いを感じる。

 カッコーは託卵(他の鳥の巣に卵を産み付ける)する鳥だ。したがって「カッコーの巣」など存在しない。この病院は存在するはずのない「巣」なのだ。
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1975年
監督:ミロシュ・フォアマン(「僕たちのアナ・バナナ(出演)」「アマデウス」)
マーク/ジャック・ニコルソン(「イージー・ライダー」「イーストウィックの魔女たち」「シャイニング」「恋愛小説家」「アバウト・シュミット」)
婦長/ルイーズ・フレッチャー(「クルーエル・インテンション」「エクソシスト」)

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2005/04/15

『ピアノ・レッスン』"The Piano"

 映像が心を沸き立たせる映画だ。波打ち際に置き去りにされたピアノ。高い丘から見下ろす浜辺。浜辺で遊ぶ幼い少女フローラ。浜辺に貝で描かれた砂絵と3人の足跡を見た時は心が躍った。

 2人の男は、それぞれに魅力的だ。字も読めないベインズだが、マオリ族の言葉がわかるのと同様の心で、言葉を発しないエイダのピアノの音を感じることができる。粗野なようでいて繊細な心を併せ持つ男だ。一方の夫は、妻の心の機微が全くわからない男だが、不細工に不器用に悩み抜き、もがいていく中で、妻の心の叫びのことばを理解し、解決する。全然格好良くないが実のある男だ。

 しかし、私はこの映画は嫌いだ。最初、まるでどちらが保護者なのかわからないような母親に対する娘フローラの役割が気になったのだが、細かいことを言っていては映画が楽しめないので、片目をつむって見ることにした。しかし、2人の情事を覗かせ、トラウマになりそうな血なまぐさい出来事の引き金を引かせるに至っては、目も耳もふさぎたくなった。これは虐待以外の何物でもない。こんな大問題をただの狂言回しのような形で使い、小道具のように筋の中で扱ってはいけない。

 このことがあるから、いくらエイダ役が美しくても、上手に演技しても、私には彼女を理解しようという気持ちが全くわいてこなかった。

[他には、こんな「ピアノもの」があります]
  『戦場のピアニスト
  『海の上のピアニスト
  『シャイン

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1993年
監督:ジェーン・カンピオン
エイダ/ホリー・ハンター
ベインズ/ハーヴェイ・カイテル(「ルル・オン・ザ・ブリッジ」「バグジー」「タクシー・ドライバー」)
スチュワート(夫)/サム・ニール(「ジェラシック・パーク」)
フローラ/アンナ・パキン(「小説家を見つけたら」)

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2005/04/13

『デッドマン・ウォーキング』"Deadman Walking"

 救いようのない残忍な強姦殺人事件を起こした死刑囚とそれに付き添うことになったシスターの話。前面に出ているテーマは死刑制度の是非だ。またキリストと共に磔にされた極悪人の話があぶり出されて見えてくることからもわかるように、キリスト教の影響は大きい。

 こういう問題を正面からまともにとらえているので、映画のテーマはとても重い。しかし、見終わっての後味は悪くない。それは、悲しみ、憎しみ、罪、後悔を抱えながらも人は安らかに生きていくことが愛によって許されているというメッセージが底に流れているからだ。被害者の家族の苦しみも、憎しみを持つ心も、裁かれる犯人のエゴイスティックな心も、弱い心も、それらすべてを包み込む大きなものの存在が緩やかに表現されている。

 人の苦しみを吸い取って苦悩するシスター・ヘレンを演じるスーザン・サランドンはすばらしい。また、静かに流れる音楽が側面から穏やかにそのメッセージを支えている。

 *死刑制度が描かれている映画には他にこんなものがあります。

1995年/監督:ティム・ロビンス「ジェイコブス・ラダー」「ミッション・トゥ・マーズ」「オースティン・パワーズデラックス」「隣人は静かに笑う」ショーシャンクの空」/シスター・ヘレン:スーザン・サランドン(「グッドナイト・ムーン」「ムーンライト・マイル」「ジャイアント・ピーチ」「若草物語」「イーストウィックの魔女たち」/ショーン・ベン/ *「 」内はその人の作品のうち見たことのあるものの題名

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2005/04/11

『ウェールズの山』で思い出したこと

 ウェールズを旅行した時(1997年)のことを思い出した。日本に急いで送らなくてはいけない文章があって、小さなホテルの一室でパソコンをモジュラージャックに繋ごうとしていたのだがつながらない。受話器を取ると線自体がつながっていないことがわかったので、下に降りていった。

 ホテルの1階はパブになっていて、すでに大騒ぎ。フロントにいた女性もパブのほうにいて、だいぶアルコールが入っている雰囲気。しばらくしてやっと来てくれたが、「あはははは、インターネットなんてできるわけないじゃない。ここはウェールズよ。あはははははは」

 あとで別の従業員がその話を聞き、あわててつないで知らせに来てくれたのだが、私はすでに、翌朝ファックスで送ることにして、長い文章をすべて紙に書き写し終わったところだった。

 「ここはウェールズよ」と言われると、あきらめるしかないという気になるところがウェールズだ。帰り道、山を越えて、地名を示す看板が、英語とウェールズ語の併記から英語だけの表記に変わった時、時間がワープして現代に戻ったような気がした。

*映画『ウエールズの山』の話はこちらへ。

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2005/04/10

『ウェールズの山』"The Englishman Who Went Up A Hill But Came Down A Mountain"

 ウェールズのある村、人々は外敵の侵入から自分たちを守ってきたフュノン・ガルウという山を誇りに思って暮らしてきた。ところがある時、イングランドからやってきた測量士がその標高を測り、「マウンテン(=山)」と呼ぶには6メートル足りないため、地図には「ヒル(=丘)」と記されることになったから大変。村人たちは測量士2人を村に足止めする方策を練る一方で、土を運んで山を6メートル高くしよういうことに…。

 いかにもイギリス人(&ウェールズ人)らしく、自分の流儀や生活習慣や信念をかたくなに守って生きていきたい人々。それなのに、少しずつそれらを曲げないことには、村を挙げての目標が達成できない。そのあたりの葛藤と心の折り合いの付け方が、クスッと笑ってしまうような、心が温かくなるタッチで描かれている。
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1995年
監督:クリストファー・マンガー
アンソン(測量士)/ヒュー・グラント(「日の名残り」「ラブ・アクチュアリー」「ブリジット・ジョンズの日記」「ノッティングヒルの恋人」「恋するための3つのルール」)
ベティ/タラ・フィッツジェラルド
モーガン(居酒屋の主人)/コーム・ミーニー
ジョーンズ牧師/ケネス・グリフィス

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2005/04/04

『シャイン』"Shine"

 みどころはたくさんある。ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番に込められた気持ち、ピアノが伝授されていく過程、父親の"愛情"など。しかし、それだけでは語りきれない暖かさがここには流れている。表にははっきりとは出てこないこの部分について書いてみたい。

 この暖かさの源は、このストーリーがギリアンの目で描かれていることにある。ロンドン時代の恩師に手紙の代筆をするかのようにデイヴィッドに語らせる場面があるが、この映画のもとになったストーリーはあの手法で語られ、描かれていったのだろう。

 成功した友、ロジャーの演奏を心の底から感心し喜ぶデイヴィッド。それを見つめるギリアン。海で裸になって無邪気に泳ぐ彼。それを砂浜で見つめるギリアン。この目を通して描かれているから暖かいのだ。

 子育てを終えたギリアンは、デイヴィッドの人生のほうも後半にさしかかったところで彼と出会う。しかし彼女はそれぞれの時代に出てきた別の女性に自分の目を重ね合わせていたのだろう。少年時代のパトロン的役割を担う作家の女性、レストランで彼を暖かく受け入れる女性、そして、病院から外へ連れ出した女性、彼女達には共通した、彼を見つめる暖かい目がある

 自分が出会う前の、自分が関わってこなかった時代の彼をもう一度包み込むような愛情で見つめ直し、パズルのピースを埋めるようにして回復への道を一緒に歩む。デイヴィッドはギリアンに出会って初めて子ども時代をやり直し、忘れてきたものを拾うことが可能になったのだ。
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1995年
監督:スコット・ヒックス(「ヒマラヤ杉に降る雪」)
デイヴィッド・ヘルフゴッド(大人)/ジェフリー・ラッシュ(「恋におちたシェイクスピア」「エリザベス」)
ノア・テイラー
デイヴィッド・ヘルフゴッド(青年)/アレックス・ラファロウイッツ
*「 」内はその人の作品のうち見たことのあるものの題名

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