『ハンニバル』"Hannibal"
『羊たちの沈黙』でおぼろげながらつかめていたものがあった。しかし、その証拠となるものをその作品自体の中に見つけることができなかったので、『ハンニバル』を見ることにした。やはりこの解釈で正しかったと確信できたことは良かったと思う。
レクター博士の"恋愛"は、相手の女性的な魅力から入っていくのではなく、精神的に呼応するものを探り出し、打てば響く感性を見いだしていく過程から生まれてくるものだ。レクター博士がクラリスに出会った時の喜び&悦びの部分だけはまっとうで、理解できるものだと感じてしまうのだ。
若い時のクラリスには、それを理解することはできなかった。ひっぱくした捜査の中でのことだから当然だ。しかし、さまざまな疎外感と挫折を味わっている今のクラリスは、当時のこの過程をたどることで、徐々に博士の愛に気づいていったはずだ。ジュリアン・ムーアの演技からは、それが読み取れないが、昔の資料を調べ直す、あの部屋にこもりきりの部分はそのための場面だったと思う。
映像も筋展開も、単純な部分ばかりを過剰に説明していると思った。クラリスを陥れようとした人達は悪人だから裁かれ、悪に手を染めようとしなかった人は許されるという単純な構図。
ただ、私が一番見たくなかったあの場面は高く評価できる。[ここからネタバレ、反転させて読んでください→]この映画には、レクター博士"タイプ"の人間として描かれているメイスンが登場し、映画全体の気味悪さを倍増する。しかしあの晩餐場面に至ると、「人間が人肉食べる」のと「人肉を豚に喰わせる」のでは、前者のほうがずっとおぞましいはずなのに、博士の晩餐のほうがずっと優雅で優美であることが際だつ。後者が文字通り「泥にまみれている」のとあまりにも対照的だ。ここで2人が似て非なるものであることが歴然とする。
いや、この描き方もわかりやす過ぎるほど単純だとは思う。作品の中で匂わせることさえしなかった、博士の「美」の根源、「愛」の根源のあと一歩深いところが知りたかった。
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2000年
監督:リドリー・スコット(「グラディエーター」「G.I.ジェーン」「エイリアン」)
音楽:ハンス・ジマー(「ラスト・サムライ」「グラディエーター」「プリンス・オブ・エジプト」「ザ・ロック」「ライオン・キング」「レインマン」「ドライビング・MISS・デイジー」)
ハンニバル・レクター/アンソニー・ホプキンス(「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」「白いカラス」「羊たちの沈黙」「日の名残り」)
クラリス・スターリン/ジュリアン・ムーア(「巡り会う時間たち」「シッピング・ニュース」「マップ・オブ・ザ・ワールド」「クッキー・フォーチュン」「ビッグ・リボウスキ」「マグノリア」)
メイスン/ゲイリー・オールドマン
*「 」内はその人の作品のうちみたことのあるものの題名
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