『ターミナル』 "Terminal"
小国クラコージアからやっとの思いでニューヨークにやってきたのに、法律の狭間に落ち込んでしまってJFケネディ空港から出られなくなってしまったビクター。英語はほとんど通じないし、お金もない。故国は戦争状態。いったいどうすればいいのか。
しかし、空港はソト以上にアメリカだった。「アポがない」からと話も聞いてくれない掃除人。滑った人に訴訟を起こされては困ると、少しでもぬれた床には「滑りますよ」の表示を置いておく社会。ややこしい手続きなのに、英語を話せるのが当然としゃべり続ける"権力側"の人間。
一方で、規則の中を適当にかいくぐり、楽しく生きて、それぞれの「自己」を持ち続ける人たち。"権力側"の人間もまた、それぞれが違った目でものごとを見ている。秩序と自由とちゃらんぽらんさのバランスが、良きアメリカを支えているという楽天的なヒューマニズムが、閉ざされた空間の中で高らかに謳い上げられるストーリーだ。
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コメント
トラックバックとコメント、ありがとうございました。
相変わらずちんとんさんの映画を観る目は鋭いですね。
あの空港は一つの街で、しかもアメリカという国を象徴的に描いているのでしょう。
ゆえにビクターは”アメリカン・ドリーム”っぽく扱われています。
クライマックスの空港から出て行くシーンの大袈裟な演出など、まさにヒーローが戦場へ赴くみたいで、滑稽すぎるくらいでした。
あれくらい過剰な演出をしておいて、結末は「大団円」ではなく個人レベルのハッピーエンド。この落差に戸惑ったのは私一人だけなのでしょうか?
投稿: つっきー | 2005/05/05 20:57
柏もちを狙っている?ちんとんくん。
これは今日までの画像になるのでしょうか?
かわいいですね。
投稿: つっきー | 2005/05/05 22:08
つっきーさん、コメントありがとうございます。
「柏餅を狙うちんとん」は、今日までです。今日から、「旅先でデザートが書かれた小黒板に見入っているちんとん」に変わります。
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ここから『ターミナル』の話題。
ネタバレします。まだ、見ていない人は注意してください。
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ジャズについての知識がないので、それも原因かなと思うのですが、私も最後はあっけなく感じました。
ただ、「大団円」を持ってこなかったのは意図的だと思えてなりません。もしそうしたかったのなら、「彼女」とあのタイルの噴水の前で結婚式を挙げ、「彼」が演奏し、報道陣に取り囲まれ、「彼女」と手を取り合って帰国と、簡単にまとめられたはず。
そうしなかったのは、こういう、海外から小さい夢を持って集まってきた人が、小さな夢を成就させ、それぞれがその人の形のまま生きていくところを描きたかった。そして、それこそが「人種のるつぼ」ではなく「人種のサラダボール」であるアメリカという国なのだと言いたかったからではないかという気がするんです。
見終わった時は、なんかなあと思ったのですが、今、思い返してみると、このほうが味わい深いような気がしてきています。
投稿: ちんとん | 2005/05/09 10:29
こんばんは(*`・∀・)ノ☆
以前、遊びに来てもらったMiMiです♪
今回もTBさせて頂きました。
ちんとんさんは、凄く深くこの映画を見てるんですね!!
TBしたものの、自分の単純な感想文が子供の作文のように思えてきちゃいました;(笑)
ジャズについての知識があれば、もうちょっと違った感想が出てくるんですかね。
MiMiもジャズはさっぱりなので、最後はしっくりこなかったです…。
投稿: MiMi | 2006/01/30 21:43
MiMiさん、ようこそ。
コメントとTB、ありがとうございました。
なんだか、これを見てみると、アメリカ人のアメリカ讃歌のような気がしてきてしまって…。
確かにジャズの知識があったらもっと別の面が見えてくるし、感じ取れるのではないかと思いました。私も、全然なので残念でした。
MiMiさんのところにもお邪魔させていただきます。
投稿: ちんとん | 2006/01/30 23:07